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田代まさしに薬物を売った元売人が語る「週末シャブ中」の実態

日刊SPA! / 2021年8月21日 15時54分

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倉垣さんは以前、六本木のバーでマスターをしていたという

 2010年10月10日、俺は逮捕された。大体予想はついていた。なぜなら田代が一ヶ月ほど前にパクられたからだ——。

 倉垣弘志さんは当時の状況について、著書『薬物売人』(幻冬舎新書)でこう記しています。元タレントの田代まさし氏(現在服役中)に薬物を売った犯人が逮捕されたというニュースを覚えている人も多いのではないでしょうか。

 その後、倉垣さんは勾留、起訴を経て3年の実刑判決が確定。刑務所に服役するも約2年後には仮出所しました。

 仮出所後も覚せい剤の誘惑を感じた倉垣さんは、離島に移住します。そして、島で偶然出会って一目ぼれした女性と再婚。現在では2人の子どもに恵まれ、薬物とは無縁の健康的で幸せな生活を送っています。

 倉垣さんはなぜ、薬物にはまり、売人の道に入ってしまったのでしょうか。そしてどのようにして現在の生活を取り戻したのでしょうか。編集部からの質問状に対する倉垣さんからの回答を元に考えてみたいと思います。

◆「世間を騒がせた」と看守に言われて

 倉垣さんは逮捕当時を以下のように振り返ります。

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田代は横浜赤レンガ倉庫近くの駐車場で、女と同乗している車の中にいるところを、APEC国際会議中の横浜を特別警戒している警官から職質を受け、田代と女の所持品の中から覚醒剤とコカインが見つかり、現行犯逮捕された。

その後、部屋からは大麻約50グラム、覚醒剤10グラム、コカイン8グラムが見つかった。田代が俺以外からも薬物を入手していれば、刑事たちは俺の他にも捜査対象者がいて、探しているかもしれない。しかし所持していた薬物や、部屋から出てきた薬物の量から予想すると、俺が最近売り捌いた量にピッタリあてはまる。
=====

 実際、倉垣さんは逮捕後に検察官から「私が所持していた大麻、コカイン、覚せい剤はクラという男から買い受けたものです」という田代まさし氏と逮捕当時一緒にいた女性の指印の押された調書を見せられました。この調書がきっかけとなり逮捕されていたのです。

 また、倉垣さんは逮捕時に刑事から「お前もこれでまともな仕事には就けないな」と告げられていました。その時はピンと来ませんでしたが、留置場に入った後、逮捕のニュースを見たという留置場の看守から、「世間を騒がせたのだから重い罪を覚悟するのが当然」と言われ、ようやくその意味を知ったといいます。

 その時から、ニュースで経歴を知られている自分の社会復帰は難しいだろうと考え続ける日々が始まったのでした。

◆覚せい剤の恐ろしさ

 売人仲間のトキさんから「シャブ(覚せい剤)はだめだよ。食わずに売る物だよ」と言われていたにもかかわらず、薬物に依存してしまった倉垣さん。覚せい剤の使用による気分の高揚は、慎重な行動の妨げになるので、真面目なヤクザは覚せい剤を売るだけで自分では手を出しません。実際に自分でも使う売人はすぐに逮捕されていました。

 また、周りには覚せい剤が切れると酷い幻覚を見て暴れ回ったり、刑務所を出たり入ったりした挙句、覚せい剤を入手できなくなり、医師から処方された向精神薬の中毒になって母親に手を引かれて歩くほどの廃人になった人もいました。

 倉垣さんはこうした恐ろしさを自分自身が一番よくわかっていた。とはいえ、覚せい剤の「シャキーンと気持ちが良く、頭を突き抜けるような感覚」から抜け出せなくなっていたのです。

 そこには「自分だけは大丈夫」という気持ちがあったといいます。そして、その慢心が覚せい剤の怖さ、恐ろしさなのだと。

◆17歳で覚せい剤に手をだす

 そもそも倉垣さんが覚せい剤に最初に手を出したきっかけは、ほんの出来心でした。中学生の頃から吸っていたタバコやシンナーの延長で不良の先輩から譲り受け、17歳の時に安易に手を出してしまったのです。

 そして、上京してから6年間もの間、覚せい剤を使用していなかった倉垣さんは、ふとした出会いがきっかけで覚せい剤を使用してしまいます。その時の様子は「バーカウンターに座っているはずなのに、ふわふわのソファにドカーンと座り、そのまま温泉まで首に浸かっているような感覚」だったとのこと。
 
 当時、酒井法子さん逮捕のニュースの再現VTRで、大阪で覚せい剤を使用していた頃を思い出し、「湧く」(興奮する)感覚を味わっていた倉垣さん。知人から使用をすすめられ、断るという選択肢はなかったそうです。

◆「週末シャブ中」の実態

 覚せい剤の恐怖はヤクザや芸能界など特殊な世界だけではなく、一般社会にも入り込んでいるといいます。倉垣さんから薬物を買っていた人たちの中には、平日は普通に働き、週末だけ覚せい剤を摂取している人たちも大勢いました。

 薬物売人が一般人に近付くのは、どんな場所なのでしょうか。

「飲み屋やパチンコ屋、競馬場、違法賭博屋など。そして、ライトなイメージのあるマリファナはクラブやバー、レコード屋、アパレルショップなどで、興味のありそうなお客さんに声を掛けます」(倉垣さん)

 毎日覚せい剤を摂取していれば、幻覚により暴れ回るなど目立つ行動を取るので、逮捕されやすい。

 一方、普通に社会生活を送りながら適度に依存している人ほど周囲からはわかりません。じつは、彼らこそが薬物売人にとっては上顧客だといいます。

◆薬物売人にとっての上顧客

 適度な依存症者は、音楽、放送、出版、Web、デザイン関係など、クリエイティブな仕事をしている人が多く、創造力を高めるために使用するといいます。金回りも良く、逮捕されにくいことから、長く取引できるそうです。

 薬物売人はこうした「逮捕されない品のいい客」を手放さないために、相手が求めても大量の覚せい剤を売りません。あえて少しずつ売ることによって適度に依存させ、長く取引できる客を「作る」のです。要するに、客は売人にコントロールされてしまう。

 この点についてうかがうと、倉垣さんは以下のように回答しました。

「あるラインを超えると逮捕され、そこで一度は止まりますが、また始まります。あるラインを超えずに慎重に行動している者は、逮捕されずに地味にチョロチョロとやり続けています。どちらも抜け出すには、自分で気づくことができるかだと思います」(倉垣さん)

◆使用者には家族がいる人も…

 倉垣さんは地元大阪から上京後、六本木に24時間飲めるバーをオープンさせます。店は順調に売り上げを伸ばしましたが、昼過ぎに帰宅しては、店に戻る生活が続きます。そして、妻子とのコミュニケーション不足が原因で離婚。その寂しさと余ってしまった時間も薬物依存のきっかけになったとのことでした。

 では、家族がいる人は覚せい剤には手を出さないものなのでしょうか。一概にはそうとも言えないと倉垣さんは指摘します。

「もちろん子どもの面倒をみたり、家族の用事が忙しければそれどころではないでしょう。しかし、子育て奮闘中のママさんにもシャブ(覚せい剤)好きの人がいます。家族があって子どもがいても、自分が一人で過ごせる時間とお金を自由につくることができる場合は、薬物に近づいてしまう人もいます」(倉垣さん)

 薬物依存の恐怖は、今や一般社会と隣り合わせと言っても過言ではありません。

◆刑務所は犯罪者たちのハローワーク

 そして、覚せい剤の恐ろしさは社会復帰の難しさにもあるといいます。

 倉垣さんは刑務所内で「また会えたらお仕事しましょう」と注射器の売人にスカウトされたり、出所してからの犯罪行為のためのコネクションを作る人たちを目撃しました。

 実際に刑務所の中で知り合った人たちと出所後取引をする薬物犯罪者は多く、倉垣さんによれば「刑務所は犯罪者たちのハローワーク」とのこと。出所後の再犯率が50%を超えていることからすると、その表現は大げさなものとは言えません。

 そんな倉垣さんは刑務所の中で大金を稼げる犯罪の誘いを受けながらも「派手に金を稼いで見栄を張って生きて行きたいか? またここに戻って来るのか?」という自問自答を繰り返します。そして、「生きて行けるだけの金があればそれでいい。もうこんな場所には二度と来たくない」とシンプルな答えに辿り着きました。

 真面目に真っ当に生きたいと願う強い思いが、倉垣さんに再犯の誘惑を断ち切らせたのです。

◆受け入れてくれた和尚と両親

 私にとって『薬物売人』で印象的だったのは、逮捕前から倉垣さんに寄り添う福岡の小倉にある寺の住職「和尚」の存在です。

 和尚は逮捕当時、すでに20年来の友人でしたが、全てを知った上で説教をすることもなく、京都から来た倉垣さんを受け入れました。

 逮捕前に9日間、和尚の家に滞在して語り合い、ひとりで読書をするうちに倉垣さんは「堂々と逮捕される」決意をします。

「和尚は何も言わず、僕が答えを出すのを待ってくれていました。そして、逮捕されることについては自分で導き決心しました」(倉垣さん)

 倉垣さんは刑務所の中にいる間も和尚と手紙のやり取りを続けました。

 また、仮釈放の際に身元引受人になったご両親も倉垣さんの社会復帰をする上で大きい存在でした。仮釈放後に実家に戻った倉垣さんは「両親と一緒につつましい食事をとり、一人で時間を気にすることなく風呂に浸かり、ふわふわの綺麗な布団でぐっすりと眠る」時間を貴重で贅沢で裕福に感じたといいます。そして、善悪や後先を考えずに行動した倉垣さんを最終的には許し、受け入れてくれたご両親。

「薬物依存の歯止めになった両親がいなければ確実に、もっとひどいことになっていたと思います」(倉垣さん)

◆映画『解放区』に出演して

 仮出所後、かつての仲間のつながりでたこ焼きを焼く仕事をしていたある日、大阪・西成を舞台にした映画『解放区』の太田信吾監督から声を掛けられました。その頃、太田監督は覚せい剤の売人役を探しており、たこ焼き屋で偶然出会ったのが倉垣さんだったのです。

 実はこの頃、倉垣さんは少ない回数ではあるものの、再び覚せい剤やマリファナに手を出していました。当時の行動範囲の中に売人や薬物使用者を見つけてしまったのです。「このままではいけない」と思いつつも、再び倉垣さんは薬を使用する生活に戻ってしまいます。

 使用直後に尿検査がない限り証拠は残らない、警察に取引現場を押さえられるか、取引後に職務質問を受けなければ捕まることはない——。「大丈夫だ」という自信だけが、当時の倉垣さんの脳内を占めていました。

 しかし、太田監督から『解放区』での薬物売人役での出演を引き受け、撮影の中で太田監督と話し合い、倉垣さんは再度自分を見つめ直します。そして、倉垣さんは誘惑の多い大阪の街を去り、離島へ移住する決意をしました。

◆更生にとって必要なこと

 現在、倉垣さんは自然に囲まれて健康的な生活を送っています。早寝早起きで仕事をし、家族と大笑いしている時が一番の幸せなんだとか。

 また、薬物に依存していた頃にはなかった「自分や周りの人たちを大切にする気持ち」が今はあるとのことです。そして、和尚のような何でも話せる人の存在が更生につながったと振り返ります。

「自分のせいで人生が狂ってしまった人たちや心配や迷惑をかけた人たちがいることを後悔しています」(倉垣さん)

 現在守りたいものがあるからこそ後悔を実感しているのかもしれません。

◆「愛せるものをひとつ見つけてください」

 また、倉垣さんは「これまでの僕の人生に登場したことがない不思議なキャラクターで、話をしているとワクワクさせられる」太田監督に促されて執筆を開始しましたが、この本は薬物に限らず、「依存」から人が抜け出すことに必要なものを示唆しています。

 それは「人」です。

 自分を見つめ直すきっかけを作った太田監督はもちろん、常に寄り添って来た和尚、いつも応援してくれたご両親、そして出所後に仕事を用意していた仲間、過去を知りつつも受け入れ現在の妻となった女性など、倉垣さんと出会った人たちが掛ける温かい言葉が倉垣さんを今の生活へ導いたことがよくわかります。

 そんな倉垣さんに薬物から抜け出せずに苦しんでいる人たちへのメッセージをお願いすると、こんな答えが返って来ました。

「大丈夫です。僕が抜け出せたのですから、あなたも抜け出せます。まず、何でもいいです。愛せるものをひとつ見つけてください」(倉垣さん)

 あらゆる依存に苦しむ人たちは、今、このメッセージに耳を傾けるべきではないでしょうか。

<取材・文/熊野雅恵>

【熊野雅恵】
ライター、合同会社インディペンデントフィルム代表社員。阪南大学経済学部非常勤講師、行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、映画、電子書籍製作にも関わる。

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