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自民党の総裁を決める「派閥」とは何か/倉山満の政局速報

日刊SPA! / 2021年9月9日 8時50分

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◆弱すぎる野党と自民党総裁選

 自民党総裁選挙は、総理大臣を決める選挙です。本当は衆議院の総選挙が総理大臣を決める選挙なのですが、何回やっても自民党が勝ってしまいます。理由は、自民党が強いからではなく、野党が弱すぎるからです。

 この期に及んで、野党第一党である立憲民主党の支持率は自民党の五分の一。

 日本人で「枝野幸男さんに総理大臣になってもらいたい」なんて考える人は、よほどの変わり者かカルト。

 ネッシーやツチノコと違って、「枝野信者」「立憲カルト」は実在するから困るけど、その人たちが日本の多数派になったら天変地異。

 孔子様は言っています。怪力乱神は語らず。社会のことを語る時は、地に足が着いた話をしましょう。

◆自民党の派閥は、普通の意味の派閥とは違う

 本題。自民党の総裁は、派閥の連合で決まります。では派閥って、何なのか。

 辞書で引くと「仲間の集まり」とかナントカ書いていますが、自民党の派閥は意味が違います。ここが難しいところ。

 自民党の派閥は、普通の意味の派閥とは二つの点で違います。

 一つは、自ら「派閥」と名乗ること。会社で、「ウチは、会長派、社長派、専務派と分かれています」なんて自己紹介するところはない。あるかもしれないけど、相~当~、変な会社。むしろ、「あいつは派閥を作っている」というのは悪口で使われるもの。ところが自民党は派閥を名乗る。

 もう一つは、政治の世界の派閥は相手を抹殺するまでやるけど、自民党はやらない。例外はない訳ではないけど、基本はやらない。

 この二点が自民党の派閥が普通の派閥ではない理由です。では、どうして自民党に派閥ができたのか。

◆どうして自民党に派閥ができたのか

 もともと、自民党は自由党と日本民主党が合同してできた政党です。その自由党と日本民主党も、離合集散を繰り返して結成されました。だから、合併する前の政党でいっしょだったひとたちが、合併後もそのまま派閥として人間関係を残す、と言うことを繰り返して自民党に派閥ができ、その後も67年間の間に多くの離合集散が繰り返されてきた、ということです。

 自民党の派閥の原型は、1956年の第1回自民党総裁選です。この時に、八大派閥ができました。別名「八個師団」。目的は「親分を総理大臣にすること」。総理大臣になりたい人は、子分を作る。子分を集めて派閥を作る。派閥の親分のことを「領袖(りょうしゅう)」と言いますが、総理大臣になりたければ、派閥を作れ! ということになります。

◆領袖全員が総理大臣になった五大派閥「三角大福中」

 1970年代、「三角大福中」と言われる五大派閥がしのぎを削り、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘は全員が総理大臣になりました。三角大福の4人はあまりに派閥抗争が激しすぎて2年で引きずりおろされるので、「歌手1年、総理2年の使い捨て」とおちょくられました。

 ちなみに、それを言った竹下登は後に1年半で退陣。口は禍の元です。

 この頃の五大派閥の領袖は、全員がオーナー経営者です。三木武夫は八個師団どころか、初当選が戦前の代議士で、世渡りがあまりにえげつなく弱小派閥なのに大派閥を振り回す様から「バルカン政治家」の異名。

 田中角栄と大平正芳は、派閥をクーデターで乗っ取りました。

 福田赳夫と中曽根康弘は、属していた派閥が分裂したので、自力で金を集め、子分を集め、手下を国会議員に当選させて、派閥を作りました。こういう連中なので、80年代まで生き残り、亡霊のように老害ぶりをさらしましたが……。

◆90年代以降の派閥の領袖は「サラリーマン社長」

 その反動で、90年代以降の派閥の領袖は、皆が二代目か三代目。言うなれば「サラリーマン社長」です。サラリーマンが一番嫌う人種。そして今に至る。

 と、「派閥」とは何なのかがわかったところで、現在の「派閥の液状化」について、次回。

【倉山 満】
’73年、香川県生まれ。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務め、’15年まで日本国憲法を教える。著書にベストセラーになった『嘘だらけシリーズ』のほか、9月下旬には『嘘だらけの池田勇人』を発売予定。ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰し、「倉山塾」では塾長として、大日本帝国憲法や日本近現代史、政治外交についてなど幅広く学びの場を提供している

―[倉山満の政局速報]―

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