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川村元気が“不信の時代”に送り出す小説『神曲』。神に縋るしかなくなった家族の行方は

日刊SPA! / 2021年11月23日 15時52分

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 映画製作の最前線と小説執筆という孤独な世界を往還しながら、さまざまな物語を世に送り出してきた川村元気氏が、2年半ぶりとなる長編小説『神曲』を刊行する。

 小学校の校門前に現れた通り魔が、子どもたちを次々とナイフで突き刺していく衝撃的なプロローグから始まる最新作は、「神の正体」を巡るスリリングな物語だ。稀代のストーリーテラーが「不信の時代」に伝えたかったものとは何なのか?

◆いつ自分が被害者になってもおかしくない

――本作は理不尽な無差別殺人事件に遭い、新興宗教に入信していく被害者遺族にフォーカスしている。

川村:特定の信仰を持っていなかった家族が、神に縋るしかなくなるとしたら? と考えました。自分の家族がこんなふうに殺されてしまったら、神に救いを求めるのは自然な選択なのでは、と。今回、さまざまな宗教の信者、元信者、100人以上の方々からお話を伺ったんですが、実際に同じような経緯を辿ったご家庭もありました。大きい事件や事故があった後、遺族の家に「お祈りさせてください」「お祓いさせてください」と宗教関係者が訪ねてくるケースって多いらしいんですね。

無宗教者からすると、弱みにつけ込んでいる、と思ってしまう。だけど彼らは「助けてあげたい」という、ものすごくピュアな気持ちで来ていたりする。もしも自分が遺族になったときに、それを完全にはねのける力があるのだろうか。いまニュースを見ていてもそういう事件は他人事には思えない。いつ自分が被害者になってもおかしくないわけです。

◆三篇構成はダンテの『神曲』へのオマージュ

――その状態から、まず母が入信し、娘も母に寄り添い、父が取り残されていく。本編は小鳥店を営む檀野家3人の視点が章ごとに入れ替わるかたちですが、この三部構成というのは……。

川村:地獄篇、煉獄篇、天国篇という三篇構成でできたダンテの『神曲』へのオマージュもありました。地獄篇に当たるのは「第一篇 檀野三知男」、妻と娘が怪しげな宗教に傾いていくのを止めようとする父親の物語です。煉獄篇は「第二篇 檀野響子」で、信仰の道に走ってしまった妻が、この世界をどう見ているかを一人称で描きました。天国篇となる「第三篇 檀野花音」は娘の目線から、母と父の間、信心と不信の間で揺れる心情を描きました。異なる3つの視点を通して、「神の正体」や「信じること、信じられないこと」を描きたいと思ったんです。

――信心と不信のはざまに、多くの人が置かれている気がします。

川村:僕はいつも、いまの世間や世界の「気分」を登場人物にしたいと思っています。これまでの作品もそうだったんですが、テーマが決まるとまずは尊敬している先輩の小説家に相談するんです。今回も「次はこういう物語にしようと思っているんですが……」と話したら、「川村くんはきっと信仰や信心ではなく、信じられない人間を描きたいんだよ」と言われて、目から鱗が落ちました。

自分自身もそうだし多くの人たちがきっと、信じることが難しい時代を生きている。特にコロナ禍に突入して以降は、みんながみんなのことを疑い始める、疑心暗鬼な日々だったと思うんです。デマか真実かわからない情報が流れて、その解釈を巡って人間同士が敵対していて、家族の中でも親や子、夫や妻を信じられなかったりする。それは、いまこの世界における神を巡る構造にも似ている。先輩作家からの決定的なアドバイスを受けて、この物語の軸足を「信仰」から「不信」にセッティングし直しました。

◆不信の物語の結末は不信では終われなかった

――家族間の不信が根深いものとして描かれています。前作の『百花』刊行時にインタビューした際、「映画の世界においては、擬似家族の物語から、ふたたび血縁関係にある家族の問題にテーマが移っている」とおっしゃっていました。

川村:そのインタビュー後に公開された、ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』もまさに血縁家族の物語でしたね。生まれながらの家族が問題だなと思うのは、親から生まれている時点で自動的に親子になるし、血が繫がっているせいで否応なしにきょうだいになる。その関係からは、なかなか逃れられない。

一昔前であれば、家族は絶対に自分の味方というセーフティネットとして機能していたのかもしれません。ただ、少なくとも僕の周りの人たちと話していると、「家族のことを信じられない」と言う人がすごく増えているなと思ったんです。家族という最小単位の関係性を信じられないんだったら、相当生きづらいんじゃないか。なおかつ、「家族が信じているものがバラバラだったらどうなるんだろう?」というお題を自分に問うてみて、家族というものの本質を見つめてみたいと思いました。

◆最悪なエンディングに辿り着く可能性もゼロではなかった

――「宗教と家族」というトピックを取り出してみると、ホラーでありながら日本でも異例のヒットを遂げたアリ・アスター監督の映画『ミッドサマー』とのリンクを感じます。実は第一篇のラスト直前のとあるシーンと出合ったとき、この先は『ミッドサマー』みたいな悲惨な展開になるんじゃないかと思ったんです。

川村:あのシーンは僕も書いていて、よくこんなシーンを思いついたなと空恐ろしかった。前半は「地獄篇」なので、しょうがないんです(苦笑)。そのまま進んでいって、最悪なエンディングに辿り着く可能性もゼロではなかった。そこから方向転換した理由の一つは、まさに『ミッドサマー』でした。

脚本も手がけたアリ・アスター監督が希望のない世界に究極まで突き進んでいくのを観て、「面白いなぁ」と思いながら「ファンタジーだな」とも思ったんですよ。人間はあそこまで理性であったり、人を信じたいという気持ちを手離せるものなのか、と。そもそも『ミッドサマー』って一連の宗教儀式の最中に、みんな得体の知れないクスリを飲んでいる。あれ、ドラッグの世界の話だなって思うんです。

――ドラッグムービー説!

川村:だからあの映画は不思議と、観ていて痛くない。ドラッグを服用して飛んだ状態の物語だから。だけど現実の僕らはみんなシラフで生きていて、苦しいし痛いし、どうしても誰かと繫がっていたいと思う。その気持ちを残念ながら僕らは手離せない。あと、物語の方向性に関してもう一つ作用したのは、やはりコロナです。目に見えないウイルスに振り回され、いろいろなものを奪われた現実世界に送り出していく物語の結末が、不信では終われないなと思ったんです。

※11/16発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです

【Genki Kawamura】
’79年、神奈川県生まれ。『告白』『悪人』『モテキ』『君の名は。』などの映画を製作。小説家として『世界から猫が消えたなら』『億男』『四月になれば彼女は』『百花』を発表。本年、初の翻訳本『ぼく モグラ キツネ 馬』を上梓。11月18日発売の『神曲』が5作目の小説となる

取材・文/吉田大助 撮影/山野一真 構成/村田孔明(本誌)

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