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福留孝介、45歳まで現役を続けられたのは「アメリカ野球を経験したから」5年間の苦悩も赤裸々告白

日刊SPA! / 2024年3月3日 8時52分

◆妻からは「性格が丸くなった」

自分の意思で変えられないことに対していつまでも抗っていても意味はない。ある意味での達観が重要になるのかもしれない。渡米後、福留は「性格が丸くなった」と妻に言われたという。「自分では丸くなったという自覚はないんですけど」と福留は笑った。

「日本にいるときはある程度のことは自分一人でできました。でもアメリカでは通訳や練習パートナーもそうだし、周りのサポートがなければ何もできない。日本での当たり前がアメリカでは通用しない。そんなことに気づかされました」

アメリカでの2年目、3年目も、日本のような成績を残すことはできなかった。春先は成績がいいのに、夏場になるとベンチを温める試合が増えていく。与えられた環境のもとで自分にできることは精いっぱい取り組んだ。それでも結果が出ないままカブスでの4年契約の最終年を迎えた。

◆メジャー4年目、自らの意思で決めた移籍

しかしシーズン途中、自らの意思でクリーブランド・インディアンスに移籍を決める。

「試合に出る機会が少しでも欲しい。そんな思いから自分で判断しました。そして、その年のオフに(シカゴ・)ホワイトソックスと契約したものの故障もあって、思うような成績を残せませんでした……」

4年目終了後に日本球界へ復帰することも可能だった。しかし、本人がそれを拒んだ。

「日本に戻るという選択肢は自分の中にはなかったですね。ホワイトソックスでは脇腹を故障して、シーズン途中にリリースされてしまいました。それでも、まだ日本に戻るつもりはありませんでした」

シカゴに家を購入し、グリーンカードも取得した。それは、腰を据えて挑戦する覚悟の表れでもあった。

◆「もっと若い頃に…」35歳で経験したマイナー生活

渡米5年目の’12年7月、福留はヤンキースとマイナー契約を結んだ。3A・スクラントンでのプレーは、すでに35歳になっていた福留にとって、何から何まで初めて経験することばかりだった。

「10時間以上のバス移動も経験しました。飛行機はもちろんチャーター機ではなく、試合直前に球場入りすることもありました。彼らはみんなハングリーで同じ国出身のメジャーリーガーから道具をもらってプレーしていました。あのときの経験は二度としたくはないけど、もちろん挫折だとも思っていません。もっと若い頃にあの経験をしたかった。そんな思いが強いですね」

日本でトップスターだった福留にとって、35歳で経験するマイナー生活は、単なる「選手として」ではなく、「一人の人間として」はとても貴重な経験となったという。

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