「メジャーリーガーにしか見られない景色がある」マック鈴木が振り返るアメリカでの日々
日刊SPA! / 2024年4月5日 15時52分
マック鈴木氏
言葉もわからぬまま、16歳で単身渡米。右肩内視鏡手術を乗り越え、4年11か月の悪戦苦闘の末に、当時21歳のマック鈴木は、ついにメジャーデビューを果たした。
「日本プロ野球を経験せずにデビューした最初のメジャーリーガー」は、その後も紆余曲折を繰り返し、己の右腕一本でアメリカ社会を生き抜いた。メジャー通算117試合に登板して16勝31敗を記録したマックはアメリカでの日々をどのように振り返るのか?
◆「すぐにマイナー行きを命じられました」ほろ苦いデビュー
1996年7月7日、テキサス・レンジャーズ戦で、マック鈴木は待望のメジャーリーガーデビューを果たした。
「大量リードされた6回からマウンドに上がりました。最初の回は打者3人で0点に抑えたけど、次のイニングは自責点3で降板。すぐにマイナー行きを命じられました」
ほろ苦いデビューとなったが、それでも「もう一度、メジャーに」の思いとともに研鑽の日々を重ねた。しかし、翌1997年は一度も昇格の機会は与えられなかった。
「僕はまだ22歳だったけど、注目されたのが早かっただけに、すでに目新しさもないし、『もう後がないな……』という思いはずっとありました。この間、どんどん若い選手に抜かれていきましたから」
◆ようやくチームの一員になれた気がした瞬間
右肩の故障以来、マックが闘っていたのは常に自分自身だった。故障前の自分のピッチングが100だとしたら、故障後のそれは50程度にまで落ち込んでしまっていた。だからこそ「故障前の自分」を追い求め、そして打ちひしがれていた。しかし、「もう後がない」土壇場の状況で、マックは発想の転換を余儀なくされた。
「もともと何も持たずにアメリカに来たんだからいじけていても仕方がない。今の自分が投げられるボールでバッターと勝負する。それでダメなら諦めよう。そう考えました」
土俵際まで追いつめられた男の開き直りは功を奏した。3Aで9勝10敗を記録、1998年9月、メジャーに再昇格する。2日には初先発、そして14日にはついにミネソタ・ツインズ戦で初勝利を飾った。
「初先発では勝ち投手にはなれなかったけど、それなりの手応えはありました。降板するときも、みんなが仲間、同僚として自分を迎え入れてくれるのがわかりました。ようやくチームの一員になれた気がしたのが、この瞬間でした」
この頃のシアトル・マリナーズにはそうそうたるチームメイトがそろっていた。
この記事に関連するニュース
-
「吉田と上沢が共闘?胸熱展開じゃん」上沢直之がメジャー初昇格 今季3Aで2勝1敗防御率4.80
日テレNEWS NNN / 2024年4月29日 10時39分
-
「ユニホームは戦闘服だ」野球から得たのは我慢と継続・黒田博樹さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(37)
47NEWS / 2024年4月22日 10時0分
-
それでもマウンドに立つことを目指して ケガに泣かされた「ガラスのエース」たち
J-CASTニュース / 2024年4月14日 8時0分
-
1996年に野茂英雄が指摘した日米の野球の違いと、メジャーを目指す人たちへのメッセージ 「明日の大リーガーたちへ」
集英社オンライン / 2024年4月8日 8時0分
-
マック鈴木が「NPBを経由していない初めての日本人メジャーリーガー」になれたワケ。グラブも持たず渡米したのに…
日刊SPA! / 2024年4月4日 15時52分
ランキング
-
1大谷2安打、ドジャースは18年ぶりの“珍快挙”達成 「44-0」を報じた米記者「最後は2006年」
THE ANSWER / 2024年4月30日 13時48分
-
2「韓国に負けた日本が五輪出場」韓国メディア、日本と対照的な自国は...「五輪出場叶わぬ衝撃的な結果に」
J-CASTニュース / 2024年4月30日 14時42分
-
3日本の攻撃陣躍動「韓国と対照的」 枠内シュート10本、海外メディア称賛「揺さぶった」
FOOTBALL ZONE / 2024年4月30日 10時10分
-
4好きな歴代男子フィギュアスケート選手ランキング! 3位「宇野昌磨」、2位「高橋大輔」、では1位は?
オールアバウト / 2024年4月28日 20時35分
-
5大谷翔平に「1093億円を支払った理由が判明した」 止まらぬ日本企業進出に米驚愕
Full-Count / 2024年4月30日 14時3分
複数ページをまたぐ記事です
記事の最終ページでミッション達成してください