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「メジャーリーガーにしか見られない景色がある」マック鈴木が振り返るアメリカでの日々

日刊SPA! / 2024年4月5日 15時52分

「すごいことを簡単にやってのけるのがケン・グリフィーJr.。大事なところであっさり打つのがエドガー・マルチネス。三振は多いけど、同点弾、逆転ホームランを打つのがジェイ・ビューナー……。すごいメンバーばかりでしたよ」

 渡米から7年近い月日が流れていた。ようやく手にした歓喜の瞬間だった。

◆名コーチの指導で才能が開花

 翌1999年は波瀾の一年となった。渡米以来、初めて開幕をメジャーで迎えたものの6月にニューヨーク・メッツにトレードされ、その直後にはカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍する。戦力補強に貪欲で、人的流動性の高いメジャーならではの出来事だった。そして新天地での新たな出会いがマックにとって幸いした。

「ロイヤルズのブレント・ストロームコーチが僕をすごく評価してくれました。グローブを持つ左手の位置をきちんと定めるフォームに修正したことで、格段にコントロールがよくなったんです。一つの問題がクリアできると、すべてのことがまとまってくる。このときは、そんなイメージでした」

 当初、監督からは大きな期待をされていなかった。メジャーに残れるか、それとも落とされるか、当落線上にあったものの、期待の若手のアクシデントによりチャンスがもたらされ、マックはそれを逃さなかった。

「若手有望選手が脇腹を痛めて途中降板して、急遽、僕がマウンドに上がったんですけど、球速も大幅にアップし、3イニングで8奪三振。自分でも驚いたけど、球団はさらに驚いていました(笑)」

 手薄な投手陣というチーム事情もマックにとって幸いした。’00年シーズンは開幕から先発ローテーションの仲間入りを果たし、序盤こそ中継ぎ降格となったものの、その後はシーズン終了までローテーションを守り続けた。

 32試合8勝10敗──。

 堂々たる成績でシーズンを終えた。メジャーリーガーとして胸を張っていい成績だ。

 しかし、好結果とは裏腹に、この時点ですでにマックの右肩は悲鳴を上げていた。

◆リハビリを経て、個人的には幸先のいいスタートを切ったが…

「球団からは『すぐに検査しろ』と言われました。自分としては痛くても投げられるし、結果も出たから手術はしたくなかった。だけど、球団は『手術をしなければ契約はしない』ということで、2度目の内視鏡手術をすることにしました」

’01年、開幕戦は敵地ヤンキースタジアムでのニューヨーク・ヤンキース戦と発表されていた。マックの照準はこの日に定められた。

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