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和風のメロンパン?群馬県民しか知らない謎フード「バンズパン」の“正体”とは

日刊SPA! / 2024年6月9日 8時51分

 ちなみに、群馬フードサービスでは高崎市内のインストアベーカリー「トリアノン」(群馬町店、菅谷店)や、スーパー小売店でバンズパンの製造・販売を行っている。しかし残念ながら、「弊社は(前身である)群馬パンセンターでの製造・販売事業を引き継ぎましたが、そこでバンズパンが製造・販売される経緯についてはわからない」(小林氏)とのことだった。

◆味気なくて不評だったバンズを改良した?

「ここからは資料も何もないので想像ですが、現在88歳になる元松浦パンの従業員で私の叔父に聞いたところ、松浦パンが学校給食をやっていた頃は、給食用のパンはコッペパンくらいとのことでした。そのことから、群馬パンセンターは松浦パンからバンズパンの製法等々を伝授されたものと推察され、学校給食にも提供されるようになったのではないかと思います」(小林氏)

 なんともあいまいなルーツだ。さらなる情報を求め、2019年に松浦パン2代目社長の松浦幸雄氏とバンズパンの歴史についての講演を行った高崎学博士の新井重雄氏にも話を聞いた。すると「バンズパンを作ったのは高崎市内の松浦パンだと言われています」とズバリ。

「松浦パンや学校給食のパンを供給していた群馬パンセンターは2016年に廃業。資料も離散しているため正確な歴史ははっきりと残っていません。ただ高崎市の学校給食はメニュー開発に熱心で、1970年代にはバンズパンが学校給食として親しまれていたことは確認できました。

 私の推測ですが、松浦パン創業者の松浦福三郎氏はアメリカを視察したときに出合ったハンバーガーに使われていたバンズを帰国してから商品化しようと考えたが、ハンバーガーという文化が高崎に浸透していなく、パンも味気なくて不評だったため、甘いクッキー生地を載せて、現在まで続くオリジナルのバンズパンを作ったと考えてはどうでしょうか。現在ではプレーンの味以外にもバターやあんバターなどをはさんだバンズパンもあります」

◆学校給食のおかげでソウルフードに

 そんななか取材を進めていくと、アメリカではなく、日本の大阪にルーツがあるという説も耳にした。

「戦前・戦後と群馬県内では、大阪でパンを営んでいたという職人が少なくありません。当時大阪ではメロンパンに代表されるビスを乗せたビスパンやたまごパンといったものが大変はやっていたそうです。それを群馬に持ち帰り、展開していったと聞いています」(市内でバンズパンの製造を行う関係者)

 記者はもはやルーツをたどるのは困難だと判断した。しかし、そもそもの疑問として、なぜバンズパンが群馬県民にとっておなじみのパンとして定着したのか。前出の相川氏によれば「これには地元の学校給食の歴史」がかかわってくるという。

「やはり学校給食という下地があったからこそ、バンズパンが今日のソウルフードのような扱いになったのだと思います。とりわけ高崎市では給食事業者が昭和の頃から市民おなじみのメニューとしてバンズパンを扱っていました。一方、高崎市以外の地域ではそうした下地が形成されなかったためそこまでの人気にはならず、結果ガラパゴス化したのだと思います」(相川氏)

 ご当地メニューとしてガラパゴス的に生き残ってきたバンズパン。今回、そのルーツはわからなかったが、大手コンビニチェーンで販売されたことをきっかけに、全国的に注目される日も近いかもしれない。

<取材・文/日刊SPA取材班>

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