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「自分の身には起きたことがない出来事を本当はすでに知っている」“ままならない生活”を綴った随筆集/『踊る幽霊』書評

日刊SPA! / 2024年7月9日 8時50分

「自分の身には起きたことがない出来事を本当はすでに知っている」“ままならない生活”を綴った随筆集/『踊る幽霊』書評

オルタナ旧市街・著『踊る幽霊』(柏書房)

 世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。ここが人と本との出会いの場になりますように。
 オルタナ旧市街というペンネームの書き手がいる。数年前、初めてその名を見たときは、それが作品のタイトルなのか書き手の名前なのかわからなかったが、そんなことはどうでもよくなるほどに虜になってしまったのだった。そこに綴られていたのは、いわゆる都市生活者の、いわゆる「ままならない生活」だった。しかしそれだけではない、とも思った。

 オルタナ旧市街。その文字列を目にした者にぼんやりとした具体性を想起させるペンネームの書き手によって綴られる日々の営みは、果たして現実か、それとも空想か。いずれにせよ、それらはすべて私を惹きつけてやまない。私の身には起きたことがない出来事であるにもかかわらず、私はそれを知っている。もしかしたら、私もそこにいたのではないか。そんな気がしてきてしまうのだ。

 オルタナ旧市街・著『踊る幽霊』(柏書房)は、東京を中心にした街を舞台にした随筆集だ。東京、街、随筆。まさに「ままならない生活」というイメージにぴったりの素材。そしてままならない生活(を描くとき)には必ずと言っていいほど付随する、その街(に住む人々)のあたたかさを、あなたはぼんやりとした具体性をもって思い浮かべたかもしれない。

 しかしその予想は裏切られることになる。本書で綴られるままならない生活は、なんとも形容しがたい「渇き」のようなものを伴っている。食べたくもないのに頼んでしまうパフェ、意気込んで向かったお店は定休日、悪天候により前提から変更を余儀なくされる小旅行の計画……。思い通りにいかない(とはいえ大袈裟に嘆くほどではない)ちょっとした不運や不幸から著者を救うのは、仲の良い家族や親友や恋人でもなく、その街が本質的に持つ「素晴らしさ」みたいなものでもない。

 そこに登場するのは見知らぬ他者であり、今後どこかで会うこともおそらくないであろう、まさに通り過ぎていく景色そのものであるような人々と街である。つまり、かれら(と便宜的に呼称するさまざまな人・もの・こと)は著者に対して特段の思い入れもなく、ただただ関与してしまっただけに過ぎない。駅前の老婆は「楽しいから踊っている」だけだし、隣席のマダムたちは愛犬の口の臭さを語らっているだけである。片手袋は道に落ちているだけ。運よく出会った魔法使いにかけられた言葉は、どうやらほかの人に比べてひとこと少なかったらしい。

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