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「櫻井翔になりたい」現役時代“全落ち”した偏差値40の浪人生が慶応大学に合格するまで

日刊SPA! / 2024年7月21日 15時52分

◆「自分は賢い」と勘違い

「校内では割と上位だったから、『自分は賢い』と勘違いするようになりました。当時の母校は荒れていて、トイレからタバコの吸い殻が見つかることもありましたし、退学者も珍しくなかった。『ここにいたらまずい』と思うようになったんです。

 さらに、同時期、中学校時代の親友からも影響を受けました。彼は進学校に行ったのですが、話を聞くうちに『勉強するのが当たり前』と考えるようになったんです。しかも、彼らの進路は『大学進学』一択で、『自分も大学に行くべきかも』と感じました」

 勉強に前向きになって、初めて模試を受験することに決めたHiDEさん。しかし、結果は偏差値40程度でした。学校内ではできる方でも、全国レベルでは大したことがない現状。浮かれていた彼に現実が重くのしかかります。

◆努力むなしく、高3秋の模試でも偏差値40

 友人から影響を受け「最低限、日東駒専レベルの大学へ」と独学で頑張っても、結果はなかなかついてこない。金銭的事情で塾には通えませんでした。しかし、真面目に勉強した経験もなく、「何から始めればいいのかわからない」状態に。まずはネットや友人のアドバイスで「勉強のやり方」を探りました。

 当時彼が採用していたのが、「少しずつ頑張る」こと。1日30分の勉強が苦痛で仕方なかったので、15分単位で少しずつ学習時間を伸ばしました。

 確かに彼はできる限りの努力をしましたが、結果は非情なものでした。高3秋の模試では偏差値40を取り、成蹊大学、東洋大学など出願した大学にはすべて不合格。

 周りは進路が決まった中、自分だけが社会に取り残される感覚があったといいます。絶望と孤独の中、何気なく聴いた嵐の『僕が僕のすべて』が彼の人生を変えました。

◆元気をくれた嵐の櫻井くんみたいになりたい

「ありのままを受け入れて再起を促す歌詞が、現実に絶望している僕を元気づけるようで、とても共感できました。この曲に勇気をもらったから、立ち上がることができた。

 それでも、最後のチャンスであることはわかっていました。だからこそ、とことん上を目指したいと思った。慶應義塾大学を目指したのは、嵐の櫻井翔くんが慶応出身だったからです。彼のようになりたい憧れが抑えきれなかった」

 確かに、現役時の受験結果は散々であったHiDEさんですが、一年間何もしないで手をこまねいていたわけではありません。勉強のやり方について情報を片っ端から集め、ミニマムなサイズで実験することを繰り返していました。

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