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「その人にしか書けないものが本である」尾崎世界観の代表作になるべきバンド小説/『転の声』書評

日刊SPA! / 2024年8月6日 8時50分

 こういったエセケンの転売ビジネス論には妙な熱量と説得力とうさんくささが同時にあり、読んでるこちらも惑わされてしまう。読みながら、「時代の寵児」としてメディアに出てくる新しいビジネスを成功させた経営者の語り口とエセケンの語り口がよく似ていることに気がつく。こういった行為はちょっとした時代の風向きの流れで変わるので、2024年の今は「転売が公認された世界なんて」と笑えるが、もしかすると数年後にはエセケンの語る「よいものにプレミアが付くのは当たり前」な価値観が広まってるかもしれない。

 しかしこの小説の本筋は転売ビジネス論の是非にあるのでない。「音楽活動を続けていく上ではそういったものでさえもすがりたくなる、アーティストを続けていく苦しさ、煩悶」こそがこの小説の本筋である。

 主人公の以内は、空いた時間はほぼずっとSNSでエゴサーチをしている。自分たちについて、音楽業界について、人々がどう思っているかを絶えず気にしている。
 フェスに出ることになれば出場するステージと出演順が気になり、出れば出たで最前列でこのあと登場する別のバンドのタオルを柵にかけて寄りかかったまま自分たちの音楽には一切反応しないファン、通称「地蔵」を呪う。ワンマンライブをやれば歌にまったく関係ないところで「かわいい!」と叫ぶ通称「ワーキャー」や、曲に込められた思いや工夫に関係なく始まる観客の一方的な手拍子に辟易する。
 SNSではいつも自分たちへの文句と注文が飛び交い、あずかり知らぬところで第三者がムーブメントを起こしたり、考えもしなかったところで炎上騒ぎが起きたりする。常に心をすり減らしていて、何をしていても安寧がない。好きな音楽でデビューしたはずなのに。

 という話を、当代きっての人気バンドのフロントマン、尾崎世界観が書いている。
「GiCCHO」のボーカリスト・以内右手が苦悩する出来事のどこまでが「クリープハイプ」のボーカリスト・尾崎世界観が体験したことなのか、それは判別がつかない。以内の「思うように声が出ない」苦しみはおそらく尾崎自身の体験から来ているのではないかと思うが、どこまでが実体験でどこからフィクションかは切り分けできない。
 だが「音楽を続けることの苦しみ」だけは真実ではないか。
現世で世知辛い日々を送る私たちは音楽に癒やされ、励まされる。だがその音楽を作って歌っている人たちもまた、世知辛い日常に苛まれながら歌を届けていることをこの作品は伝えてくれる。

 小説に限らず、「その人」にしか書けないものが「本」であり、その人にしか書けないものに価値がある、と私は思っている。その意味で、この唯一無二の作品は作家・尾崎世界観の代表作になるべきだし、すべての人に読んでほしい作品である。

評者/伊野尾宏之
1974年、東京都生まれ。伊野尾書店店長。よく読むジャンルはノンフィクション。人の心を揺さぶるものをいつも探しています。趣味はプロレス観戦、プロ野球観戦、銭湯めぐり

―[書店員の書評]―

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