“小売日本一”だったダイエーが90年代に転落したワケ…「欲しいものは何も売っていない」
日刊SPA! / 2024年10月5日 8時53分
なお、成長期においてダイエーは「土地神話」に基づく地価の上昇に頼りながら出店を続けました。駅前や住宅街の土地を買って店舗を構え、その後の地価上昇をもとに銀行から借入を行い、新たな店舗を構えるというスタイルです。
◆バブル崩壊と震災で打撃を受ける
しかし、1990年代末の総量規制を発端とするバブル崩壊が地価の下落をもたらし、これ以降ダイエーの資金調達力は低下しました。そして1995年の阪神淡路大震災でダイエーは大打撃を受けることになります。地盤としていた神戸では7店舗中4店舗が全壊、コンビニを含めると100店舗が被災し、震災による直接的な被害は約500億円になりました。一方で、中内氏は被害の少ない店舗を営業させるなど、地域の復興に尽力しました。
ダイエー凋落についてはバブル崩壊と震災を主要因とする言説が一般的ですが、実はその間も規模は拡大しています。1994年には忠実屋やユニードダイエー、ダイハナなど関東・九州・沖縄地盤のGMSを買収し、店舗数は約220から約350に増えました。ダイエーの連結売上高は95年2月期にピークの3兆2,239億円を記録し、店舗数では98年に378店舗のピークを迎えました。
◆何でも売っているが、欲しいものは何も売っていない
案の定、90年代に行った無理な拡大が後の傷口を広げることになります。出店により店舗数・売上高は伸びていったものの、GMS1店舗あたりの既存店売上高は1993年以降、前年比で減少が続きました。ダイエーは安売りを強みとする一方、台頭する専門店と比較して質や品揃えでは劣っていたのです。
アパレル市場はそもそも1991年をピークに縮小しており、90年代はユニクロやしまむらの黎明期にあたります。家電では首都圏の駅前でラオックス、郊外部ではコジマが台頭していました。「ダイエーに行けば何でも売っているが、欲しいものは何も売っていない」と揶揄されるようになりました。
店舗縮小に踏み切ったのは1998年になってからです。しかし無理な拡大を続けた分、傷口は広がり、時すでに遅しといった対応でした。2001年に中内氏は業績悪化の責任を取って会長の座を退任し、同年にローソン事業も手放しました。02年2月期の連結決算は約2.5兆円の売上高に対し純損失は3,325億円にまで膨らみました。主要3行による1,700億円の債務放棄、04年に行ったソフトバンクへの球団売却も再生につながらず、その後、産業再生機構がダイエーを支援することに。
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