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朝ドラ『おむすび』不評の一因は“超大物アーティストの主題歌”とのミスマッチ?感じた“違和感”の正体

日刊SPA! / 2024年10月19日 8時53分

 年を取ることが悪いと言っているのではありません。興味の対象が変わり、肉体も感性も成熟しきった60代のB’zによる新曲で平成を体現することに、そもそも無理があるという話なのです。

 圧倒的な目力とオーラをまとった橋本環奈のビジュアルとの間にギャップが生まれるのも、むべなるかな。絵とサウンドのベクトルが一致していないのです。

◆『虎に翼』主題歌との決定的な違い

 これをドラマも主題歌も好評だった『虎に翼』と主題歌「さよーならまたいつか!」(米津玄師)の関係と比べるとわかりやすいでしょう。綿密な対話を経てオファーした制作陣の熱意を超える理解力を発揮した米津の楽曲制作と、イメージ、ビジュアル、箱庭の世界観を満たすことが先行した「イルミネーション」とでは、全く質感が異なっています。

 もちろん、そのような外面を整えることが軽薄だという意味ではありません。それならそれで、よりディテールを突き詰める仕上げが重要になってくるということなのです。そのキーファクターとして、あの時代にしか鳴らせなかった鋭利なポップセンスがある。それは1990年代のB’zだからこそなし得たものであり、いまの彼らができることでも、すべきことでもない。

 だからこそ、昔のヒット曲をそのまま使ったほうがドラマが描きたい雰囲気を醸し出せるし、またB’zへのリスペクトも示せるのではないか、と言いたいのです。

 それほどまでに流行歌には拭いきれない時代の空気、生活の痕跡が残っているのです。

 と、ここまで書いてきて、B’z以上に違和感を感じる要素があることに気づきました。それは橋本環奈のギャル役です。あんなに貫禄たっぷり落ち着き払ったギャルなんていないし。

 というわけで、筆者はいつか橋本環奈にイタリアのジョルジャ・メローニ首相を演じていただきたいと、切に願っております。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

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