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『おむすび』で一人気を吐く松平健(70)。知られざる“山あり谷あり”の俳優人生

日刊SPA! / 2024年10月23日 8時51分

◆『暴れん坊将軍』での成功

『人間の條件』から約1年半が過ぎた1978年1月、『吉宗評判記 暴れん坊将軍』(テレビ朝日)の主演に抜擢された。新鮮さも買われた。勝さんの教えを守り、助演を避けてきたことが功を奏したのである。まだ24歳だった。以後、この作品は2003年4月まで約25年も続いた。

『暴れん坊将軍』の放送中、健さんは安泰だったと思われている。実際には違う。1980年11月から半年間にわたって同じテレ朝で放送された主演刑事ドラマ『走れ!熱血刑事』が見事にコケた。月曜午後8時台の放送だったにもかかわらず、6~7%の世帯視聴率しか獲れなかった。

健さんが演じた主人公は山本大介。10代のころは極悪の不良だったが、人情刑事に諭されて更正し、刑事になった。だから非行に走る10代を放っておけない。

今、振り返ってみても当たりそうもないストーリーである。『暴れん坊将軍』が成功していた健さんなのだから断ってもよかった気がするが、そうは出来ない事情があった。制作が勝プロだったのである。同時期、勝プロは別の刑事ドラマも撮っていた。勝さん主演の日本テレビ『警視-K』(1980年10月)だ。全編ほぼアドリブ。マイクで雑音も拾うという画期的なドラマだったが、斬新すぎて平均世帯視聴率は5・4%。半年間放送の予定だったものの、1クールで打ち切られた。勝プロにとって刑事ドラマは鬼門だったらしい。

それから24年後、健さんは『暴れん坊将軍』が終わってから1年半後となる2004年の大晦日、『NHK紅白歌合戦』に『マツケンサンバⅡ』で初出場する。切れ目なくスポットライトを浴びていたから、やはり恵まれていたように思われるが、これも違った。

1992年にリリースした『マツケンサンバⅠ』はほとんど話題にならず、1994年に出した『マツケンサンバⅡ』も大手レコード会社はCD化を引き受けてくれなかった。売れないと思われていたのだ。このため、自主制作盤の形態となり、健さんの舞台の会場で売られただけだった。

『マツケンサンバⅡ』の人気にようやく火が付いたのは2003年ごろ。制作から約10年が過ぎていた。メジャーな音楽番組などで紹介されたからではない。ラジオの深夜放送で流されたことをきっかけだった。

劇場関係者によると「健さんは誰にでも気を使う人」だという。人知れず苦労をしてきたせいでもあるだろう。<文/高堀冬彦>

参考文献
読売新聞 東京朝刊 2024年5月17日、同24日、同31日付
朝日新聞 東京夕刊 2013年7月26日付
NHKドラマ・ガイド『おむすび』Part1(NHK出版)

【高堀冬彦】
放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞の文化部専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」編集次長などを経て2019年に独立。放送批評誌「GALAC」前編集委員

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