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「阿部と長野の姿を遠くからじっと見ていた」若き日の坂本勇人が“一皮むけた”出来事

日刊SPA! / 2024年10月27日 8時53分

実際、私のデータにすばやく興味を示したのは、阿部であり、長野だった。彼らがベンチであれこれ聞きにくる姿を、坂本は遠くからじっと見ていた。その視線を何となく感じながらも、私から坂本に話しかけることはなかった。

開幕してから4カ月経った7月のある日、坂本から私に「ちょっといいですか」と話しかけてきた。聞けば、相手投手が投げてくる外の変化球にどうしても対応できないというのだ。

◆坂本に伝えた「あえて外角は捨てていく」という方法

そこで私は一つの提案をした。

「真ん中から外に曲がる変化球は、すべて捨てていったらどうか」

坂本に代表されるように、巨人の選手は総じて打撃の能力が高いゆえ、すべての球種やコースに対応しようと考えていた。だが、それが間違っていた。力の落ちる二流の投手ならばそれも可能だろうが、一流の投手となるとそううまくはいかない。

ましてや当時は、巨人と対戦するときには、相手チームは必ずエース級の投手をぶつけてきたので、そう簡単には打てない。すべての球種に対応するなど、どだい不可能だというわけだ。それならば確率の高い策を講じたほうが、結果はいいものになる。このときのケースでいえば、「あえて外角は捨てなさい」という方法だった。

これまでは「外角の変化球を打つにはどうすればいいのか」を必死に考えていたのだが、「外角の変化球は捨てなさい」というアドバイスをもらったことは一度もなかっただけに、坂本には新鮮に聞こえたようだった。

これが功を奏して坂本の打撃は冴えわたった。勝負どころの8月以降も衰えることなく、シーズンを通して173安打を放ち、同僚の長野とともに、セ・リーグ最多安打のタイトルを手にしたのだ。

坂本も気づけば今年の12月で36歳となる。若い頃と違って、体に無理がきかなくなっていることは、誰よりも本人が理解しているはずだ。彼に技術で教えることは何もない。あとは体のメンテナンスに注力し、1年でも長く現役を続けて、3000安打まで到達してほしい。それが達成できるのは、球界広しといえども坂本をおいてほかにいない。

<TEXT/橋上秀樹>

【橋上秀樹】
1965年、千葉県船橋市出身。安田学園高から83年ドラフト3位でヤクルトに捕手として入団。その後、97年に日本ハム、2000年に阪神に移籍、この年限りで引退。 05年に新設された東北楽天の二軍外野守備・走塁コーチに就任し、シーズン途中で一軍外野守備コーチに昇格。07年から3年間、野村克也監督の下でヘッドコーチを務めた。11年にはBCリーグ新潟の監督に就任。チーム初となるチャンピオンシップに導き、この年限りで退団。12年から巨人の一軍戦略コーチに就任し、巨人の3連覇に貢献。また、13年3月に開催された第3回WBCでは戦略コーチを務めた。巨人退団後は、楽天と西武での一軍コーチを経て、19年にヤクルトの二軍野手総合コーチを務め、21年から24年まで新潟アルビレックスBCの監督を務めた。

―[だから、野球は難しい]―

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