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「また慶應SFCか」話題のPR会社社長も…なぜ似たような人物が生まれる?元SFC生が語る内実

日刊SPA! / 2024年11月27日 8時51分

 いま思うと、それは入学式の時点で浮き彫りになっていたように思います。他学部の新入生が退場したのち、総合政策学部と環境情報学部の学生だけが残り、別途オリエンテーションが実施されたのです。その第一声が、「未来からの留学生の皆さん、SFCへようこそ」でした。(たしかそんな感じ。うろ覚えですが)出だしから“SFC生はほかとは違う”という意識付けが行われるのですね。

 この「未来からの」というのがクセ物で、それは現代を俯瞰で批評し、未来の社会をハッピーにするためのソリューションを与える使命を担っているのだという若者の自尊心をくすぐります。先程名前を挙げた論客の傾向からも、そんな校風がよくあらわれているのではないでしょうか。

◆人々がSFCに抱く「批判的なイメージ」はどこから生まれる?

 そして藤沢のキャンパスでは政治的なアジビラも配布されなければ、立て看板ひとつも設置されていません。純度の高いノンポリ状態に加え、どこを歩いても、明るく清潔に保たれており、池や芝生や木々とコンピューティングシステムが見事に融合している。一言で言えば、汚れがないのです。大学にとって無駄になりそうなものが、何一つない。

 理知的にデザインされた風景が、最寄り駅からバスで15分以上かかるロケーションにあることも大きいでしょう。周囲には飲食店も書店も洋服屋もありません。雑多な生活から遮断されたところに大学があるのです。

 この進歩的なソリューション思考と、隔離され保護された合理性があわさったところに、人々がSFCについて抱く批判的なイメージが生まれるのではないかと想像します。いわゆる“意識高い系”について思い浮かべる負の側面が増幅されやすい環境がソフトとハードの両面で整ってしまっているとも言える。

 今回の折田氏で言えば、法律的な懸念や周囲への配慮よりも、自身の能力や成果を売り込む姿勢や、有権者を農作物に見立て「種まき」や「収穫」といった表現を使うことに対してためらいを覚えない無教養。結果、合理性と利得の追求が最優先になってしまった。ここに、意識高い系の悪い面が凝縮されているように思います。

 これがSFCに対する潜在的な不信感をあらわにしてしまったと言えるのではないでしょうか。

◆“彼ら”がSFCのすべてではない

 もちろん、それらの環境を活用して、学識や能力を高めて活躍している人の方が多いことは言うまでもありません。慶應やSFCというブランド力のせいで、今回のように不幸にも悪目立ちしてしまった一例だけを取り上げて叩かれてしまうのは残念なことです。

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