大阪市大優勝でよみがえった「稲葉イズム」――文武両道掲げる近畿学生野球連盟

スポニチアネックス / 2017年11月15日 11時1分

三商大戦で始球式の投手を務める稲葉重男さん(1980年、日生球場)=大阪市大野球部OB会誌『爽球』=

 【内田雅也の広角追球】入替戦で公式戦全日程を終えると、近畿学生野球連盟理事長の後藤忠彦さん(80)は大阪・福島に出向いた。連盟「生みの親」の故・稲葉重男氏の霊前に報告に出向いたのだった。11月2日のことである。

 「何を置いてもまず稲葉さんにご報告したかった。??られてばかりの記憶しか残っていないが、初めてほめてもらえた気がしましたね」

 稲葉氏は関西の学生野球界の重鎮だった。日本高校野球連盟(高野連)常任理事、大阪府高野連理事長、近畿学生野球連盟理事長などを務めた。1993年5月27日、心不全のため、76歳で永眠した。

 旧制・大阪商科大(現・大阪市大)出身で、戦後早々から1977年まで長く大阪市大の監督・総監督を務めた。後に監督を務めた後藤さんの大先輩にあたる。

 その大阪市大は今秋のリーグ戦で1993年秋季以来、24年(48季)ぶり3度目の優勝を果たした。つまり、稲葉氏が他界した年以来初めての優勝だった。

 後藤さんは大阪市大の後輩として勝利の報告を行い、理事長の後任として恒例のリーグ戦終了の報告を行ったのだった。

 「大阪市大はもちろん、この連盟には今も稲葉さんの精神が息づいている」と後藤さんは言う。近畿学生野球連盟は1948(昭和23)年、近畿六大学野球連盟として創立された。戦後、連盟創設に動いたのが稲葉氏で、1947年、大阪理工科大(現近大)学生監督だった松田博明氏(2003年没)を誘い、大阪帝大(現大阪大)と三校リーグを始めたのが土台となった。いわば連盟「生みの親」である。連盟の源流は1923(大正12)年の官立高等専門学校野球で「関西最古のリーグ」とされる。

 大阪市大同窓会「有恒会」の広報誌には戦争中、出征した稲葉氏の戦地ラバウルでの思い出話が記されている。

 「夜になっても敵の艦砲射撃は一層激しくなる。壕(ごう)にいても、いつ銃弾が当たるか分からん。でもオレは絶対死にたくなかった。死んでたまるか。絶対生きて帰って、もういっぺん野球がしたい。母校も甲子園に連れていく。その時、壕の上に見えた南十字星に誓ったんや」

 復員後、自宅の床下に埋めておいた野球道具を掘り返し、活動を再開した。兼務していた母校の扇町商(現・扇町総合)監督として、1951(昭和26)年春のセンバツで甲子園出場を果たし、「南十字星の誓い」を実現させた。

 大阪市大監督としても「鬼」と恐れられる厳しさで選手たちを鍛えあげた。縫製業を営む大阪・福島の自宅から大阪・杉本町のグラウンドまで二輪車で通った。夕刻、聞こえるバタバタという二輪車の音は「地獄の音」に聞こえたそうだ。

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