1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 芸能総合

久我美子さん死去 平安朝の前期から続く公家出身 華族制度廃止に伴う家の経済状態悪化を憂慮し芸能の道へ

スポニチアネックス / 2024年6月14日 15時57分

2000年。映画「川の流れのように」の完成披露試写会であいさつをする久我美子さん

 窓ガラス越しのキスシーンが映画史に刻まれる「また逢う日まで」など数多くの名作に出演した女優の久我美子(くが・よしこ、本名小野田美子=おのだ・はるこ)さんが9日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。93歳だった。村上源氏の流れをくむ華族出身で、東京の牛込(新宿区)で誕生。気品ある容姿とにじみ出てくる内面の美しさで名だたる監督から重用された。

 昭和の銀幕を彩った名女優が静かに逝った。2000年公開の「川の流れのように」が最後の出演作となった。晩年はほとんど活動休止状態で、04年3月に義姉の女優三ツ矢歌子さん(享年67)が亡くなった際に姿を見せたくらいだった。

 平安朝の前期(10世紀)から続く公家の出身。芸能界を志したのは、戦後の華族制度廃止に伴う久我(こが)家の経済状態の悪化を憂慮し、家計を助けるためだったという。学習院女子中等科在学中の1946年に第1期東宝ニューフェースを受験し合格。同期には三船敏郎や若山セツ子らがいた。47年に学習院を中退し、「四つの恋の物語 第1話“初恋”」でデビューした。

 黒澤明監督の「酔いどれ天使」(48年)を経て、50年に今井正監督の「また逢う日まで」でヒロインを熱演。岡田英次を相手にした窓ガラス越しの接吻(せっぷん)は日本映画史に刻まれる名場面。その後も黒澤監督の「白痴」(51年)や市川崑監督の「あにいもうと」(53年)、今井監督の「にごりえ」(53年)、木下恵介監督の「女の園」(54年)など巨匠から引っ張りだこになった。

 「新・平家物語」(55年)は溝口健二監督、「お早よう」(59年)は小津安二郎監督からのラブコールに応えての出演。57年公開の「柳生武芸帳」で仕事した稲垣浩監督も大の久我ファン。麻雀卓を囲むと、見入られたように?当たり牌を振り込んでしまったという逸話が残っている。

 54年に岸惠子(91)、有馬稲子(91)と「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を結成。小林正樹監督の「人間の條件」(59年)「怪談」(65年)や田中絹代監督の「お吟さま」(62年)などの製作にも携わった。

 61年に「大坂城物語」で共演した俳優の平田昭彦さんの熱烈な求愛を受けて結婚。稲垣監督夫妻が媒酌人を務めた。おしどり夫婦として有名だったが、84年7月に平田さんに56歳で先立たれた。89年「ゴジラvsビオランテ」には、ゴジラ映画に欠かせなかった夫の遺志を受け継いで女性官房長官役で出演し、ファンを感激させた。

 54年「女の園」「億万長者」などで毎日映画コンクールの女優助演賞、56年には「夕やけ雲」「女囚と共に」などでブルーリボン賞助演女優賞、94年には毎日映コンで田中絹代賞を受賞。「田中さんには本当にいろいろ教えていただきましたので、感無量です」と喜びをかみしめていた。

 NHK大河ドラマ「新・平家物語」(72年)や「勝海舟」(74年)、TBS系「新・三婆」(89年)などドラマにも多く出演。69年10月から70年9月までフジテレビのワイドショー「3時のあなた」の司会も務めた。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください