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楽天 交流戦初V!今江監督独占手記 秋にはもっと大きな「いただき!」の景色を

スポニチアネックス / 2024年6月17日 5時32分

<楽・広>スタンドに手を振る今江監督(撮影・篠原岳夫)

 ◇交流戦 楽天5―3広島(2024年6月16日 楽天モバイル)

 楽天は16日、交流戦最終戦の広島戦に5―3で快勝し、同率首位で並んでいたソフトバンクが敗れたため、球団創設20年目で初の交流戦優勝を決めた。賞金3000万円を獲得した。楽天のチームタイトルは、13年のリーグ優勝と日本一以来、11年ぶり。就任1年目にチームスローガン「いただき!」を掲げ、最初の頂に導いた今江敏晃監督(40)は、スポニチ本紙に独占手記を寄せた。 

イーグルス ファンの皆様

皆様の熱いご声援のおかげで球団創設20周年で初めて交流戦優勝を果たす事ができました。 今は小さな「いただき!」かもしれませんが

秋にはもっと大きな「いただき!」の景色を見れる様に 今後も粘り強く一戦必勝で戦っていきます。

 やっと笑える!優勝を意識し始めたのは(9日の)中日戦が終わった頃。“本当に1位にいるんだ”と。表に出してしまうと、いい結果にならないことが多かったので頑張って押し殺していた。優勝が懸かってからは広島に2連敗。変な緊張感があったので周りには“自然にいこうよ”と言っていた。全員が一生懸命自分の役割を果たしてくれました。

 交流戦直前に6連敗。5月21、22日のソフトバンク戦では0―21、0―12の大差で敗れた。ただ正直、想定内というか、開幕前からかなり厳しい戦いになると思っていた。少しでもチームのバランスが崩れれば、あり得ることだと。それまでは選手たちが頑張って耐えてくれて、何とか首の皮一枚つながっているような状況だった。

 ソフトバンク戦の後、緊急ミーティングをして「ここまで粘り強く頑張ったことは忘れないでほしい。自分の役割をしっかり考え直して球場に来てほしい」と伝えた。そういう形になったのは僕の責任。選手は前を向いてくれているような雰囲気だった。借金9で2桁に届いてしまうところだったので交流戦は最低5割でいければいいと思っていたが、選手が頑張ってくれた。

 不振の島内を2軍調整、浅村を4日の阪神戦からは1週間ベンチスタートにしたが、思うように結果が出ない時は自分を見つめ直す時間が必要。僕も同じ野手として経験してきたが、選手はずっと試合に出てきたプライドもある。伝えるこちらも勇気がいったし、彼らにもかなり大きなこと。ただ、重圧を背負って苦しい思いをして、チームに迷惑をかけているのを自分たちでも感じていたと思う。それなら「一回離れてみてもいいんじゃないか」という話をして彼らも納得してくれた。代わりに4番に座る鈴木大地が好調だし、最終的に彼らが本来の状態に戻ったらもっといい打線になると思う。

 イーグルスはまだ発展途上のチーム。今は小郷、辰己、村林、小深田、この4人が軸となってやってくれているけど、まだ結果を出すことでいっぱいいっぱい。彼らがここから2、3年やって若い選手をカバーできるようになれば、もっと若手が出てくる。若い選手は責任を負う必要もないし、思い切ってやればいい。僕らもいろいろな先輩に助けられて育ってきた。若手のミスは中堅やベテラン、実績ある選手がカバーしないとダメだし、それをカバーし切れていないと、若手はなかなか育たない。ここ数年のイーグルスは若手を思い切って使えない状態。そういう意味ではまだまだ時間がかかると思っている。

 これから終盤になっていくにつれて、かなりシビアな戦いになる。そういう時は、やはりベテランの力が必要。ピッチャーで言えば将大(田中)や辛島。打線なら浅村、島内の復活。凄く頼りにしているし、楽しみだ。

 15年のオフ。(ロッテから)FAの時に(球団副会長の)星野(仙一)さんがイーグルスに導いてくださった。選手としてはなかなか貢献できなかったけど監督という立場でイーグルス初の交流戦優勝。監督という立場になれたのも、その時がなければないもの。少しでも球団に貢献でき、歴史に名を残せたことをうれしく思う。

東北楽天ゴールデンイーグルス 今江敏晃

 ≪幸子夫人 自宅でTV観戦→急きょ球場へ≫今江監督の夫人・幸子さん(50)は球場での観戦を迷った挙げ句、「目の前の試合を一戦一戦戦う」という言葉を残して家を出た指揮官の言葉を胸に仙台市の自宅でテレビ観戦した。しかし勝利目前になり、居ても立ってもいられず球場に急きょ駆けつけ、8回から場内のモニターで観戦。「最後までハラハラでしたが、初優勝やりました!たくさんのファンの方の笑顔を見られてうれしかったです」と喜んだ。

 ≪04年球界再編問題→05年新規参入が“始まり”≫05年から導入された交流戦と、05年から新規参入した楽天は、ともに20年の歴史を歩んできた。誕生のきっかけは04年の球界再編問題。オリックスと近鉄の合併構想に端を発し、選手会が史上初のストライキを実施するなど混迷を極めた。1リーグ構想も浮上し、ファンの声に応える形で交流戦の実施が決定。楽天はライブドアと新規参入を争う形となり、合併するオリックスと近鉄からの分配ドラフトが礎となった。どちらも節目の年に、楽天が交流戦初優勝を果たした。

 【交流戦データ】

 ☆8球団目の栄冠 楽天は交流戦前にパ5位だったが、リーグ5位以下だった球団の優勝は06年ロッテ(5位)、18年ヤクルト(6位)、21年オリックス(5位)に次ぎ4球団目。8球団目の交流戦優勝で未経験は西武、阪神、広島、中日の4球団になった。

 ☆交流戦最年少優勝 新人監督の交流戦Vは09年秋山幸二、15年工藤公康(ともにソ)、21年中嶋聡(オ)に次ぎ4人目。40歳でのVは07年ヒルマン監督(日)の44歳を抜く最年少になった。今江監督は現役時代の05、06年にロッテで連覇。選手、監督でVは中嶋監督に次ぎ2人目。

 ☆若手が躍動 藤井は交流戦トップの3勝。楽天左腕の交流戦シーズン3勝は初めて。打者では小郷がチーム最多13打点を挙げ、3V打と勝負強さを発揮した。

 ☆先制、逆転と自在な戦い 交流戦は先制試合でトップの勝率.889(8勝1敗)。一方で逆転勝ちも最多6度と粘り強さも光った。

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