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中山秀征 芸能界入り直後の高校時代は極貧生活で栄養失調も「スターになる道が途絶えてしまう方が心配」

スポニチアネックス / 2024年6月27日 14時46分

中山秀征

 タレントの中山秀征(56)が27日、テレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。40年を迎える芸能生活について語った。

 芸能界に興味をもったのが5歳の時だった。実家の会社の慰安旅行で伊香保温泉に行った際に、人気アイドルグループ「フィンガー5」がプールにやってきたという。「(ボーカルの玉元)晃と歌おう」と一緒に歌えるコーナーがあり、共演を目指して並んでいた中山少年だったが、目の前で終了。「並んだんですけど、僕の前で終わったんですよ。いつか晃と歌いたいというのが最初の思いでした。それが芸能界への目覚めというか、熱狂しているお客さんを見てこっち(演者)側もいいなと思った」と明かした。

 それ以来、テレビの世界が輝いて見えた。「テレビに映るものがキラキラして見えた。どうやったらテレビに映るというかは入れるんだろう、頑張って(目の前の)テレビに入ろうとしていた。頑張って入った人が出てるんだという意識で。友達に聞いたら入ったという奴もいるんですよ。そういううそみたいな噂話が流れた」という幼少期のかわいいエピソードを開かした。

 テレビデビューを果たしたのは14歳だった。「中学2年の時に友達が教えてくれて、テレビに出たいなら劇団とかに入った方がいいんじゃないかと。そこから劇団に入って3カ月後にドラマに出ることになる」と芸能界入りの経緯を説明した。

 芸能界での仕事を増やそうと考えていたが、問題は群馬の実家と東京の距離だった。「事務所から“今からオーディション行けるか”って言われるんですけど、行けますけど、3時間後になります、と。群馬だと2時間、3時間遠いんですよ。“おまえ、群馬だったな。じゃあ、ごめん、ごめん。無理、無理”と言われて出られなかった作品があったので、これは近くにいればもっとチャンスが増えるんじゃないかということで高校からは神奈川県のおばさんの家に下宿をさせてもらってそこからお芝居の勉強をするようになった」と明かした。

 しかし、おばの家も下宿の期間が限られており「住むところがなくなるとう状況になってしまった」と説明。「それで学校の先生に相談したら、“わかった。うちに来い”と。独身の先生の6畳と3畳のアパートだったんですけど、3畳(の部屋)を借りることになりました。僕はいずれスターになるのに住むところがないって言ったんですよ。先生は笑っていました。とにかく帰ることになってしまうのが嫌だったんですね。本当にいい先生だった」と感謝した。

 そこから先生との共同生活が始まったが「こんなこと言うのもあれですけど、ボロボロのアパートで。まだトイレも当時はくみ取り式で。お風呂もあるんですけど、入ったら汚れそうなんですよ。でも、住まわせてもらえるだけでありがたくて」と懐かしそうに振り返った。

 黒柳徹子から「両親もご存じで?」と聞かれると「両親もお願いをしてくれた。自分の思いをくんでくれていて、何とか残してくれる方向で」と説明。さらに「その頃、栄養失調になったって本当?」と聞かれると「そうなんですよ。食生活がめちゃくちゃなんですね。先生は忙しくていないわけじゃないですか。お金ももったいないし、使わないようにして1日1食でなんとかなるんじゃないかと夜の1食だけにしていたら、ある日起き上がれなくなったんですよ。目は覚めるんですけど、かすみがかかって見えないんです。俺は終わったのかと不安になって、先生が帰ってきて病院に行ったら診断結果は栄養失調。“今時、珍しいですよ。どういう生活してるんですか”って。ちょっと入院して出ることになるんですけども、健康は大事にしないといけないなと思いましたね。目が見えないのが怖かった。ただ、それよりも仕事ができなくなってしまう、スターになる道が途絶えてしまうという方が病気よりも心配でした」と振り返った。 

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