1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. 野球

【筑後鷹】ドラ5・沢柳の心は折れない 今季早くも4度の登録抹消を経験「1軍の仲間だと忘れないように」

スポニチアネックス / 2024年7月2日 5時2分

ソフトバンク・沢柳(撮影・杉浦 友樹)

 ソフトバンクのドラフト5位・沢柳亮太郎投手(24)はここまで1軍の中継ぎで3試合に登板して防御率は3・86。最近は登板機会のないまま1、2軍を行き来するなど4度の出場選手登録抹消を経験したが、胸に刻むのは自分が「1軍の仲間だと忘れない」ことだ。剣道少年だった幼少期の野球との出合い、空を見る時間さえなかった社会人時代の経験なども語った。

 交流戦の終盤だった6月15日に沢柳は1軍昇格したが、登板なく翌16日に1日で登録抹消された。5月6、31日に出場選手登録された際は登板なしのまま、2軍へ戻る。今季4度目の抹消。気落ちしても不思議ではない状況だが、背番号38は立場を分析しつつ、倉野投手コーチや首脳陣の配慮を感じていた。

 「ちょっとでも1軍に来て先輩、セットアッパーの人を見て“何か少しでも学んでくれたら”と親心で上げてくれていると思う」

 1月下旬に左膝の違和感で春季キャンプは支配下の新人投手で唯一のC組だったが、巻き返して開幕1軍入り。ブルペンでは経験豊富なオスナ、松本裕、藤井らの取り組みを見て学んだ。2年間過ごした社会人野球は都市対抗や日本選手権出場を目指すトーナメントなど短期決戦が日常。「期間中は寝ているときも張り詰めている感じだった」。143試合のプロではそうはいかない。「気持ちの入れ過ぎはよくないと。全力はその試合で出すんですけど、試合中に入ればぐらいの気持ちでやっている」。プロで生きていく準備方法を見つけつつある。

 野球との出合いはあの世界一を見たこと。小4のときにテレビで見た日本対韓国の09年WBC決勝だ。決勝適時打を放ったイチロー、日本代表の姿に「凄くやりたいと思った」と小5から始めた。小1から中3までは剣道も習っていた。日米通算170勝を挙げ「平成の怪物」と評された松坂大輔氏もそうだった。「気持ちの面でほかの選手より強くなったのかな」とその“効果”は生きている。明学大ではプロ志望届を提出するも吉報は届かず。元阪神、西武などの投手だった藤田太陽監督が率いる社会人野球のロキテクノ富山に進んだ。「力をつけて入りたい」と強い決意で飛び込んだが、生活はハードだった。午前8時半から午後5時まで業務。午後6時から10時まで練習。自宅に戻って洗濯と炊事をする日々。自分の昼食も毎日、作っていた。「早く寝られて深夜1時。空とか見たことなかったですね」。日々に忙殺されながら“プロで活躍する”志だけは失わなかった。

 タマスタ筑後に隣接する若鷹寮は当然、衣食住がそろって野球に没頭できる。「天国です」と実感がこもる。倉野コーチには「1軍に上がってこられる先頭の選手でいなさい」とハッパをかけられている。「1軍の仲間だと忘れないように」。自身を鼓舞するような真っすぐな目で言った。 (杉浦 友樹)

 ◇沢柳 亮太郎(さわやなぎ・りょうたろう)2000年(平12)3月8日生まれ、東京都出身の24歳。小学5年で競技を始め、中学では硬式クラブ「福生シニア」でプレー。明学東村山で甲子園出場なし。明学大では首都大学野球2部でプレー。ロキテクノ富山では22年の都市対抗に出場し、同年はU23W杯日本代表で優勝にも貢献。背番号38。1メートル78、88キロ。右投げ右打ち。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください