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阪神・岡田監督 藤本定義に並ぶ球団最多514勝目 桐敷投入継投ズバリ「オールスターまでひと踏ん張り」

スポニチアネックス / 2024年7月4日 5時16分

<広・神>勝利に笑顔の岡田監督(中央)(撮影・北條 貴史)

 ◇セ・リーグ 阪神2―1広島(2024年7月3日 マツダ)

 阪神・岡田監督は、節目の1勝をけれん味のない継投策でもぎとった。1点優勢の8回にゲラが2死から安打を許したところで代打・松山に桐敷を投入。延長戦を制した前夜に続き、回の途中をいとわず投手をつぎ込んだ。

 「まずオールスターまでやからな。だから、連投になるけど、なるべく球数を少なく、あまり負担がかからんような球数でな。そこが一区切りやから、ひと踏ん張りやな」

 阪神監督としては藤本貞義と並ぶ球団最多514勝目。「そんなん関係ないって」と少し笑っただけで素っ気なくかわした。勝利数に加え、リーグ優勝2回、日本一1回の実績も印籠のように輝く。

 名将を名将たらしめているのは、組織への「徹底力」だ。選手会長の中野は22年秋からの日々で「チームを一つの方向に向かせたり、まとめる力が凄い」と実感する。

 例えば、4月には「タブレット禁止令」を言い渡した。選手は他球団の映像をいつでも端末で見ることができる。ミーティング中に個人でチェックを禁じたのはスコアラー分析の理解を深めさせるため。一丸になって攻略しようというメッセージでもあった。

 打線が不振を極めた交流戦中には野手を集め、異例の1時間も熱弁し「ポイントを前で打て」という持論を訴えた。全体が同じ方向に向くように腐心してきた。

 チームを“岡田色”に染める一方、昨季に比べれば苦戦が続く。6月15日のソフトバンク戦では打順決定を周囲に委ねた。戦略のあらゆることをトップダウンで決定する知将にすれば、特別な出来事。関係者によると、一部のコーチと選手で「近本の1番復帰、4番佐藤輝」を決めたという。策が尽きたかのような苦悩が浮かび上がった。

 波に乗れない中でも首位・広島から2差の2位に付ける。2リーグ制以降、球団初の連覇を達成すれば、「猛虎最強の監督」の座は不動のものになる。(倉世古 洋平)

 ≪巨人と阪神の両方で監督を務めた唯一の人物≫藤本定義は1904年(明37)12月20日生まれ、愛媛県出身。松山商で三塁手兼投手として4年連続全国大会出場。早大を経て大阪鉄道局吹田、東京鉄道局監督。プロ野球初年度の36年から巨人監督に就任し、第1期黄金時代を築いた。戦後、パシフィック・太陽、金星・大映、阪急、阪神と計5球団で監督を務め、通算29年で優勝9回、歴代3位の1657勝。74年野球殿堂入り。81年2月18日に76歳で死去。

 巨人と阪神の両方で監督を務めた唯一の人物で、阪神には60年にヘッド兼投手コーチで入閣。61年6月7日、金田正泰監督の休養に伴い代理監督となり、62年は小山正明、村山実の2枚看板を軸に球団初のセ・リーグ優勝。64年はバッキーを復活させて再び頂点に立った。阪神監督で2度のセ・リーグ優勝は、藤本と岡田監督のみ。

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