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元NPB審判員記者が見た知徳の「人間山脈」小船 80球目以降にドラフト上位級姿現す

スポニチアネックス / 2024年7月5日 5時2分

ブルペンで投球練習する知徳・小船(撮影・木村 揚輔)

 11年から6年間、NPB審判員を務めた柳内遼平記者(33)が、フル装備で選手の成長や魅力をジャッジする「突撃!スポニチアンパイア」。第15回は知徳(静岡)の最速152キロ右腕・小船翼投手(3年)。1メートル98、110キロの「人間山脈」がガチンコのブルペン投球を披露した。静岡大会は6日に開幕し、シード校の知徳は13日に下田―浜松日体の勝者と2回戦を戦う。

 西日傾く午後4時、知徳グラウンドに並んだナインが絶叫した。三島市と沼津市に挟まれた静岡県長泉町。「こんにちはッ!」、「すみませんでしたッ!」。初鹿文彦監督が駒大の選手時代、指導を受けた名将太田誠氏の教え「自然と会話する」が継承されている。思いは「日本一と対話することで日本一に近づく」。小船は「ありがとうございますッ!」と右中間方向に浮かぶ富士山に叫んだ。

 小さな船ではない。1メートル98、110キロから最速152キロを投じる戦艦大和級。ブルペンで初対面した1メートル78の記者は、雄大さに「人間山脈」の4文字が浮かんだ。32センチのスパイクで土をはらうプレートが板チョコのように小さく見える。「100球投げます。直球を見てほしいです」と言った。

 小船は甲子園経験がないため映像が少なく、都市伝説ともいえる存在。1メートル93のドジャース・大谷ら長身投手の活躍が目立つ現在でも、1メートル98は規格外級。春季大会では152キロをマーク、1試合18三振など活躍したが、スカウトの評判を聞くと「うーん…」と歯切れが悪い。「生で見た方がいいよ」と助言され、突撃を決断した。

 「プレー!」が投球開始のゴング。ゆったりしたノーワインドアップで左足を上げ、左手を捕手に向けた瞬間、フォームを急加速させて投げ込む。リリース時には「大型冷蔵庫が倒れてきた」ようなど迫力。ただボール自体は「うーん…」。直球は140キロ台前半くらいで強さもない。スライダーもフォークも変化が緩やかで、「企画お蔵入り」の可能性さえ考えてしまった。

 「物足りない」と思っていた時、唐突に休火山が噴火した。80球目だ。エンジンが突如うなりを上げ、体感速度150キロ超の剛球が真ん中低めへ。しなった右腕に全体重が乗り、エネルギーが凝縮された一球。そのボールが捕手のミットではじけた時、小船が全く違う投手に変身していた。そこからはアクセル全開。直球が走るとスライダー、フォークの切れ味も見違える。フォークは落ちすぎて本塁前の集音機器に直撃したほどだ。

 1~79球目までは育成レベル、80球目以降はドラフト上位レベルと「2隻の船」が出現。理由は春季大会後に痛めていた右肩にあった。80球目までは「球の感覚をつかむ」と流し、それ以降は「出力を上げた」と解放。悪い方を見れば「うーん…」の評価も納得がいく。逆に今夏の静岡大会で「80球目以降」を維持すれば評価はドラフト上位級だ。

 100球を投げきった小船は「最後まで笑っていられるチームは一つしかない。それを目指したい」と決意を語った。甲子園出場の夢が成就すれば、都市伝説が誰もが知る伝説に変わる。

 ≪高校進学時は130キロも急成長!≫父は1メートル80、母は1メートル70と長身の両親から生まれた小船は、中学卒業時に1メートル92まで成長。それでも6学年上の兄・歩さんと同じ知徳に進学した当時は、最速は130キロ程度だった。成長を続ける体を制御できず、まずは猫背だった姿勢や走り方から矯正。転機は1年8月下旬の練習試合だった。リリースの感覚をつかむと、2年春には140キロをマークし「自分に可能性を感じた」とプロを意識。入学時から6センチも身長が伸び、最速は152キロに到達し「160キロをどんどん投げられる投手に近づきたい」と見据える。初鹿監督も「27個三振を取るような投手になってもらいたい」と期待した。

 ◇小船 翼(こぶね・つばさ)2006年(平18)6月20日生まれ、神奈川県海老名市出身の18歳。5歳だった幼稚園年中から海老名サンダースで野球を始め、柏ケ谷中では海老名リトルシニアに所属。知徳では1年秋からエース。50メートル走7秒4、遠投100メートル。好きな食べ物は家系ラーメン。1メートル98、110キロ。右投げ右打ち。

 【後記】NPB審判時代に球審を担当した際、股間に投球が直撃し試合を中断させたことがある。脂汗を流しうずくまる私。あろうことか、場内アナウンスは「ごらんのような状況ですので中断します」で客席は笑い声に包まれた。塁審から駆けつけた、いたずら心満載な福家英登先輩は「アレが無事か確認した方がええで」。言われた通りにすると、また笑い声が起こった。

 ある時は左腕にファウルボールが直撃し、骨折したこともある。それでも「治る」と気にせず、次の日も試合に出た。ただ、今回はどうだろう。小船のフォークが集音マイクに直撃。はじけ飛び、内蔵のSDカードが飛び出したが「小船くん、大丈夫!簡単に直るから!」と続投を促した。投球終了後、機器を深刻な表情で見つめるカメラマン。果たして直るのか…。(アマチュア野球担当キャップ・柳内 遼平)

 ◇柳内 遼平(やなぎうち・りょうへい)1990年(平2)9月20日生まれ、福岡県福津市出身の33歳。光陵(福岡)では外野手としてプレー。四国IL審判員を経て、11~16年にNPB審判員。1軍初出場は15年9月28日のオリックス―楽天戦(京セラドーム)。16年にMLB審判学校を卒業。同年限りで退職し、公務員を経て20年スポニチに入社。

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