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【高校野球】藤岡北 “遅れてきた天才”田村剛で12年ぶり夏1勝 中学時代は卓球部

スポニチアネックス / 2024年7月7日 5時2分

<勢多農林・藤岡北>5回、関健の逆転適時打で生還し、笑顔でチームメートとハイタッチする藤岡北・田村剛(左)(撮影・木村 揚輔)

 ◇第106回全国高校野球選手権群馬大会 藤岡北7-3勢多農林(2024年7月6日 上毛新聞敷島)

 第106回全国高校野球選手権(8月7日開幕、甲子園)の出場校を決める地方大会は6日、22大会で116試合(継続試合を含む)が行われた。群馬の開幕戦では藤岡北が勢多農林を7―3で下し、2012年以来12年ぶりの白星。高校から野球を始めた田村剛基外野手(3年)が2安打2盗塁2得点と大活躍した。開会式が行われた東西東京大会を含めた首都圏は、7日に本格開幕する。

 野球ができる。その喜びを体現した。初回、1番・田村剛のバットが咆哮(ほうこう)。右中間へ三塁打を放つと、スクイズで先制のホームを踏んだ。

 「何とか塁に出てチームの雰囲気を上げたいと思っていた」。1メートル82、81キロの屈強な体がダイヤモンドを駆ける。3回は四球を選ぶと二盗、三盗に成功。5回にも右越え二塁打を放つなど2安打2盗塁2得点で12年ぶりの勝利に貢献した。19年に就任し、計10盗塁の機動力で初白星を挙げた元巨人育成投手の神田直輝監督は「ホッとしている。泣きそうでした」と振り返った。

 田村剛の野球歴はわずか2年3カ月。理由がある。人口減少で消滅可能性がある「消滅可能性自治体」で、日本で初めて恐竜の足跡の化石が発見された神流(かんな)町出身。万場小時代から「野球をやりたかった」が、同学年は6人でチームもない。中里中では全校生徒20人弱で運動部は卓球部のみだった。

 藤岡北に入学し、ようやく野球部に。遠回りした日々は意外な形で実を結ぶ。近距離で直径4センチの球を打ち返す卓球で動体視力が向上。「直球があまり速く感じない」とボールを捉える鷹のような目を持つ。プロ経験のある神田監督から打撃指導を受けるなど環境にも恵まれた。「消滅危機の化石」ではなく、光る原石。「遅れてきた天才球児」は通算8本塁打を誇り、投げても凄い。この日は左翼を守ったが、140キロを投げる強肩でマウンドに立つこともある。

 試合後にナインと校歌を熱唱。「緊張でリズムが合わなかったので練習したい」と笑った。2回戦は今春選抜で初の甲子園優勝を果たした健大高崎と激突。確かな足跡を残した田村剛は「全力を出して良い試合がしたい」と次の獲物に狙いを定めた。(柳内 遼平)

 ◇田村 剛基(たむら・ごうき)2006年(平18)10月19日生まれ、群馬県神流町出身の17歳。中里中時代は卓球部に所属し、藤岡北1年から野球を始め、主に外野手としてプレー。50メートル走6秒6、遠投90メートル。1メートル82、81キロ。右投げ左打ち。

 ▽神流町 群馬県南西部の多野郡にある人口1535人の町。人口が急減し、最終的に消滅の可能性がある「消滅可能性自治体」とされ、7月1日時点で15歳未満の人口は51人。1985年(昭60)4月3日に当時の中里村で、日本で初めて恐竜の足跡の化石が発見され、87年に恐竜センターが開館。03年に中里村、万場町の合併により、神流町となる。

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