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京都先端科学大付 強豪・京都翔英を撃破 5月に死去した「大先輩」清川栄治さんに捧ぐ1勝

スポニチアネックス / 2024年7月10日 6時32分

<京都翔英・京都先端科学大付> 京都翔英を破り喜ぶ京都先端科学大付ナイン (撮影・亀井 直樹)

 ◇第106回全国高校野球選手権京都大会 2回戦 京都先端科学大付4ー1京都翔英(2024年7月9日 わかさスタジアム京都)

 京都では、京都先端科学大付が京都翔英を4―1で下して初戦突破。同校OBで今年5月に死去した清川栄治さん(元広島、近鉄)の出身校である古豪が、昨夏の準優勝校を破る番狂わせを演じた。

 京都先端科学大付のエースは、横手投げで強豪校を惑わせた。左右の違いこそあれど、最速125キロで変則右腕の串田宇孝(たかみち=3年)は、左投手だった清川さんと同じサイドスローだ。「球は遅いけど、横から投げれば打ちづらい」。2奪三振でも大先輩と同じように丁寧に四隅を突き、1失点完投で夏1勝を天国に贈った。

 清川さんは日本プロ野球界の変則左腕の草分け的存在として、広島、近鉄で通算438試合に登板した。その先輩の訃報が届いた5月13日、チームは黙とうをささげ、堂弘監督は選手に「才能だけで、あの地位を築いたのではない」と努力の人だったことを改めて伝えた。

 旧校名の京都商時代に春夏合計15度、甲子園に出場した古豪には現在も語り継がれる逸話がある。清川さんは名門校のエースになるため、朝も夜も懐中電灯を手にして学校近くの山道を走り続けたという。今も冬場になると選手は清川さんが通ったであろう往復7キロの山道のコースを走り込む。串田は「(走り込みの)効果はあると思います」と、気温30度を超えたしゃく熱のマウンドでの熱投につなげた。

 学校には同じくOBで伝説の名投手・沢村栄治氏の銅像も建てられている。これまでも指導者は「もう一度、熱く燃えるチームにしよう」と呼びかけてきた。清川さんも母校の激励に、10年前に同校グラウンドを訪れたことがあった。先輩の努力家としての一面は脈々と受け継がれ、後輩たちの力となり、番狂わせにつながった。 (河合 洋介)

 ▽京都先端科学大付 1925年(大正14)3月に京都商業学校として京都市内に開校。戦時教育非常措置令により44年に京都工業学校に転換され、46年に京都商業学校に復元された。校名は90年から京都学園、2021年から現校名に変更。甲子園には1933年選抜で初出場し、春夏合計15度出場。主なOBは沢村栄治(巨人)、梅田邦三(巨人など)、清川栄治(広島など)ら。

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