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【100歳 甲子園球場物語】半世紀を経て復活した白亜の野球塔 栄光の歴史と戦没野球人の鎮魂の場

スポニチアネックス / 2024年7月12日 7時3分

夏の大会20周年記念として建てられた野球塔=阪神電気鉄道提供=

 野球塔の話を書いてみたい。戦前、甲子園球場の東方に建てられた巨大な白亜の高塔だった。夏の全国大会優勝校の銘板には選手名が刻まれていた。円形広場では大会前に出場全選手が参加して茶話会が開かれた。この野球塔も戦争の犠牲となった。野球塔に名前のある選手たちの生と死が交錯していた。 (編集委員・内田 雅也)

 野球塔は夏の全国中等学校優勝野球大会(今の選手権大会)が20回の記念大会を迎えた1934(昭和9)年に建てられた。開幕2日前の8月11日に完成。甲子園球場から東に約100メートルの松林にあった。今の兵庫県警甲子園署付近である。

 塔は高さ33メートルもあった。台座に8段の階段型観覧席(2500人収容)が、上段に20本の列柱が並んでいた。

 大会前日には出場全選手を招いて茶話会が開催された。15(大正4)年、夏の第1回大会が豊中球場で開催される前日にも開かれている。大阪・中之島の大阪ホテル(旧自由亭ホテル)で出場10校の選手を招き、当時珍しいサンドイッチとアイスコーヒーが出された。伝統行事だった。

 戦前、野球塔は近くに住む子どもたちの遊び場だった。戦後、球場前で食堂・土産物店を開く「甲子園シミズ」の次女、清水栄子は当時小学生だった。「円形の柱にそれぞれが立って、ジャンケンで陣地を取ったり、戦争ごっこをしたり……」

 柱には第1回からの歴代優勝校と選手名が刻まれた銅板レリーフがはめ込まれていた。

 野球塔完成の年に優勝した呉港中(広島)の銘板には投手として後の「ミスター・タイガース」藤村富美男の名がある。

 天川清三郎の名があった。平安中(現龍谷大平安高)が初優勝した38(昭和13)年夏の投手だ。岐阜商との決勝では逆転サヨナラの生還を果たした。

 一人息子で、両親を楽にとプロを選んだ。39年、南海軍(現ソフトバンク)に入団。完封勝利も飾った。40年に応召。44年、フィリピン戦線にいた天川はマニラで日比親善野球で投げ、フィリピンチームに初めて勝った。

 <隊に戻ってきた天川は、うれしそうに夢を語った>と永井良和『ホークスの70年』(ソフトバンク・クリエイティブ)にある。

 「国に帰れて、嫁さんもろたら、きっと男の子できる。そしたら野球塔見せたんねん」

 しかし、夢はかなわなかった。レイテ島守備のため、カトモン山に派遣され、10月26日夜、頭部貫通銃創により戦死。24歳だった。

 戦前最後の夏の大会となる40年の優勝投手、海草中(現和歌山・向陽高)の真田重蔵は43年、プロ野球・朝日軍に入った。オーナー・田村駒治郎の肝いりで、甲子園の自邸「一楽荘」で暮らした。

 プロ入りの記念撮影を行った場所が野球塔だった。ユニホームを着て誇らしく胸を張る写真が残る。真田にとっても野球塔は思い出深い場所だった。

 1年目13勝と活躍したが、召集を受け、海軍に入隊。広島・大竹海兵団や紀伊防備隊では海草中先輩で、39年夏の甲子園大会で全5試合を完封した嶋清一と一緒になった。

 そして特殊潜航艇の命を受けた。水中を進んで敵艦に肉薄し魚雷を放つ。生還の確率は極めて低い。長男・智之に「終戦が数日遅ければ、この世にいなかった」と語っていた。45年8月15日は神戸で出撃に備えていた。

 戦後復帰し、50年には松竹で今もセ・リーグ記録に残る39勝をあげた。阪神に移籍し、引退後は明星高(大阪)監督として63年夏、全国優勝に導いた。

 野球塔は同年1月開通の第二阪神国道(国道43号線)建設で跡形もなくなっていた。

 戦時中の金属供出で銅板は軍に差し出された。先に書いた呉港中の他、慶応普通部、高松商、中京商(現中京大中京)の4枚の現存が確認されている。

 塔は浜甲子園の飛行場から飛び立つ航空機の離着陸の妨げになるとして撤去された。川西航空機が戦闘機「紫電改」を製造していた。45年5月10日にはB29の爆撃を受け、柱の先端がもぎ取られた。

 その存在も忘れ去られようとしていた2010年3月、野球塔がよみがえった。春の選抜80回、夏の選手権90回の記念大会を前に甲子園球場の外周、南東角に再建された。

 再現の狙いは「高校野球を象徴する」とされた。計画発表当時、甲子園球場長だった揚塩健治は「応援団が南の浜甲子園駐車場から歩いてくる際の目印となる。応援団の玄関口です」と話していた。

 高さは15メートルと初代野球塔の2分の1以下。20本の列柱には春夏の優勝校名を刻んだ銘板を取り付けた。

 栄光の歴史と戦没野球人の鎮魂の場所である。戦後のうたい文句となった「白球飛び交うところに平和あり」を思う塔として建っている。  =敬称略=

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