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1924年大会出場の古豪、神港橘が100年の聖地へ延長10回サヨナラ発進 中間が147球完投

スポニチアネックス / 2024年7月13日 5時32分

<神港橘・小野>完投勝利した神港橘・中間(撮影・北條 貴史)

 ◇第106回全国高校野球 兵庫大会2回戦 神港橘3―2小野(2024年7月12日 明石トーカロ)

 第106回全国高校野球選手権(8月7日開幕、甲子園)の出場校を決める地方大会が12日、各地で開催された。兵庫大会では、神港橘が小野をタイブレークの延長10回にサヨナラ勝利で制して3回戦進出。第一神港商、市神港時代に甲子園春夏15度の出場を誇る伝統校が、1976年以来48年ぶりとなる甲子園出場へ好発進を決めた。

 1929、30年の選抜大会で史上初の連覇を達成した古豪の神港橘を「未来の金丸」が劇勝発進に導いた。先発右腕の中間裕瑛(3年)が被安打4で10回2失点の完投勝利。同校OBで3月に侍ジャパン入りした関大・金丸夢斗の投球を参考に「力まなければ質のいい直球を投げられる」と肩の力を抜いて147球を投げ抜いた。

 定期的に母校を訪れる金丸に指導を仰いだ。腹圧トレーニングなど今秋ドラフト1位候補左腕の先輩が実践するものは積極的に試した。「投球中に腹圧を意識できると一番いい球がいく」。最速132キロながら、切れが増した直球で打者を押し込めるようになった。

 金丸の高3夏は、新型コロナウイルスの拡大で兵庫大会が8強で打ち切りとなった。当時の金丸はエースとして5回戦を勝ち抜き、負けることなく最後の夏を終えて涙を流した。「甲子園がなかった先輩は悔しい思いをした。僕が甲子園に連れて行きたい」。同校は、選手権大会が甲子園で初開催された1924年の10回大会に出場している。古豪復活へ、金丸の存在が後輩の背中を押す。 (河合 洋介)

 ◇中間 裕瑛(なかま・ひろあき)2006年(平18)5月16日生まれ、兵庫県神戸市出身の18歳。5歳から小部東アローズで野球を始めて捕手。鈴蘭台中では軟式野球部に所属して投手に転向した。神港橘では1年秋から背番号10でベンチ入りし、2年秋から背番号1。50メートル走6秒6。1メートル76、64キロ。右投げ右打ち。

 ▽神港橘 1907年(明40)4月に神港商業学校として兵庫県神戸市に開校。新制高校への移行により、48年(昭23)に第一神港商から神港商に変更。49年(昭24)に校名が市神港に変更され、2016年(平28)には兵庫商との合併で神港橘が開校された。硬式野球部は1924年第10回選手権大会で甲子園に初出場し、春夏通算15度出場。主なOBは吉田孝司(巨人)、山口高志(阪急)ら。

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