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川口市立 毛利元春から“4本の矢”完封リレー 元就の末裔、仙八で初戦突破呼んだ

スポニチアネックス / 2024年7月16日 5時3分

<川口市立・宮代>力投する川口市立・毛利(撮影・大城 有生希)

 ◇第106回全国高校野球選手権埼玉大会2回戦 川口市立6―0宮代(2024年7月15日 川口市営)

 第106回全国高校野球選手権(8月7日開幕、甲子園)の出場校を決める地方大会は15日、30大会で217試合(継続試合を含む)が行われた。埼玉大会では川口市立が“4本の矢”の完封リレーで宮代を6―0で下し初戦突破。最速138キロ右腕で戦国武将・毛利元就の末裔(まつえい)の毛利元春投手(3年)が先発して4回を無失点に抑え、最後はオリックス・宇田川優希投手(25)を兄に持つ右腕・健投手(3年)が9回を締めた。

 混迷を極めた戦乱の世でも知将として冷静に勝利を重ね、中国地方で勢力を拡大した毛利元就。その血を引く毛利も冷静にアウトを重ねた。4回を投げ、4安打を浴びながら無失点。「制球が定まらなくて苦しいイニングが続いたけど、ゼロで抑えられて良かった」と大きく胸を張った。

 自身初となる夏の大会での登板。序盤は気負いもあって力んだが「しっかり切り替えて投げられた」と走者を出して粘る。2死から3連打で満塁とされた4回も「打たれてもいい」と開き直って腕を振り、左飛で脱出した。坂井航太、飯出裕己とつなぎ、9回は宇田川が無失点。3年生4投手で完封リレーを決めた。

 毛利元就の息子と同じ名前である「元春」の名を持ち「名に恥じないように」と自覚を持って生きてきた。埼玉出身だが、幼少期から縁のある広島県の法専寺へ墓参りに訪れるなど、太平の世を夢見て戦っていた先祖を敬う気持ちは常に忘れない。兄弟で力を合わせることを願う教訓「三本の矢」が有名。自身も1学年下に弟が1人おり、けんかをした際に父・吉成さん(57)から「力を合わせるんだ」と諭されることもあった。

 1、2年時に重度の腰痛を発症したが、体幹トレーニングや入念なケアで克服し、今春に初めてベンチ入り。「ケガを2回したことで絶望の底は分かっている」と精神的な強さも手にした。鈴木久幹監督も「十分に先発の役割をやってくれた」と成長を実感し、「(リハビリ期間も)トレーニングを凄くやっていた。彼の良いところ」と信頼を寄せる。

 プロ野球の広島ファンで、好きな言葉はレジェンドOBの黒田博樹氏のモットーでもある「苦しまずして栄光なし」だ。「甲子園に行けるように一戦一戦しっかり戦っていきたい」と毛利。群雄割拠の埼玉を制覇し、天下を争う夢舞台に行く。(鶴田 杏子)

 ◇毛利 元春(もうり・もとはる)2006年(平18)11月29日生まれ、埼玉県出身の17歳。小1から野球を始め、鳩ケ谷中では軟式野球部に所属。得意科目は日本史、好きな食べ物はギョーザ。好きなプロ野球の球団は広島で、OBの黒田博樹氏と同郷でもある大道温貴のファン。1メートル76、75キロ。右投げ右打ち。

 ▽毛利元就 中国地方で勢力を拡大した戦国時代の武将で毛利氏の第12代当主。1571年に死ぬ間際に隆元、元春、隆景の3人の息子を枕元に呼んで伝えたとされる教訓「三本の矢」が有名。助け合うことの大切さを伝えるため、まず3人に1本の矢を折らせ、次に3本の束の矢を折らせようとしたが、誰も折ることができなかったとされる。その後、毛利家は1600年の関ケ原の戦いで石田三成率いる西軍について敗れ、領地の多くを削られた。

 ≪観戦両親も感慨≫毛利の父・吉成さんと母・千尋さん(41)はスタンドで観戦。吉成さんは息子の活躍に「ホッとしました」と感慨を込めた。名前の「元春」は毛利元就の次男と同じ名だが、命名理由は「姓名判断」で、名字に合う名を探した結果だったそう。長男だったため「家族に最初の春をもたらして」との思いも込められた。息子の健闘を見届けた広島ファンである吉成さんは、ナイターで広島戦が行われた横浜スタジアムへと向かった。

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