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世界席巻した“Mの系譜”!重量挙げ・宮本昌典が狙う男子40年ぶり表彰台「目標は義信さん以来の金」

スポニチアネックス / 2024年7月17日 5時32分

<重量挙げ・宮本インタビュー>笑顔でポーズを決める宮本(撮影・尾崎 有希)

 パリ五輪重量挙げ男子73キロ級代表の宮本昌典(27=東京国際大職)は日本男子として84年ロサンゼルス大会以来、40年ぶりの五輪表彰台の期待がかかる。64年東京大会、68年メキシコ大会を連覇した東京国際大監督の三宅義信氏(84)に師事。義信氏の弟でメキシコ大会銅メダルの義行氏(78=現日本協会名誉会長)らレジェンド一族から薫陶を受けてきた。MIYAKEからMIYAMOTOへ。“Mの系譜”をつなぐ。

 少年時代の宮本は線が細く、パワーもなかった。87年沖縄国体に向けてレスリング強化のために宮崎から沖縄に移り住んだ父・裕二さん(64)の影響で、幼少期からレスリングをしていたが、予選なしで出場できる全国大会で早期敗退するレベルだった。小学6年時に、父の知り合いで、シドニー五輪代表の平良真理さん(旧姓・仲嘉、現女子代表監督)に会ったことを機にリフターの道を歩み出した。

 家に隣接する沖縄工高に出入りし、高校生と一緒に練習する日々。競技開始から半年は、ほうきの柄をバーベルに見立て、徹底的に理想のフォームを教え込まれた。平良さんのパイプで、日本代表の沖縄合宿にも小6から毎年参加。この合宿で義行氏と女子48キロ級で五輪2大会連続メダルの宏実さん(現日本協会常務理事)と出会い、多くを吸収していった。

 「競技を始めて2カ月で日本代表の合宿に参加して、義行さんから基本的なフォームを教えてもらいました」

 高校2年時の世界ユース選手権で初めて日の丸を背負うなど順調に成長した。大学はウエートリフティング部創部2年目の東京国際大に進学。平良さんの自衛隊体育学校の大先輩である義信氏が監督に就いた縁で勧誘があり「義行さんにもお世話になっているのでぜひ」と即決した。義行氏の息子で同大ヘッドコーチの敏博氏を含めた3人で、義信氏が代表監督を務めた84年ロサンゼルス五輪以来となる男子の表彰台を目指す戦いが始まった。

 映像でのフォーム解析や、運動生理学に基づく筋力トレなどデータを駆使した指導が常識の時代だが、義信氏は感覚を重視する。宮本は「義信さんは“今のフォームはこうだ”と主観で言う。そのアドバイスがはまるんです」と説明した。理論面は敏博氏の担当。ハイブリッドな練習で成長を遂げて21年東京五輪に出場したが、開幕直前に体調を崩した影響もあり7位に終わった。銅メダルと7キロ差。自己ベストなら表彰台に届いていた。

 義信氏に言われ続けてきた言葉がある。「焦らず、侮らず」。東京でメダルを逃しても焦らず、一歩ずつ進んだ。23年5月には韓国に武者修行。同い年の韓国人ライバル選手の所属するチームの門を叩き、一緒に練習した。下半身強化のヒントを得てスクワットの動作を改善。この1年で太腿回りは約2センチ増の61センチになった。

 間近でライバルに接して刺激を受け、食生活も変えた。昨夏までは必要な栄養素を取った上で好き放題食べていたが、昨秋以降はタンパク質が多く脂質の少ない食事を意識する。ストレスをためないため土日は5号のホールケーキを丸ごと食べるなど欲を解き放つ。競技2時間前の検量後にカップ麺「どん兵衛」を食べるルーティンも継続しているが、体脂肪率は約4%減り11%台。筋肉のカットもより鋭く出てきた。

 宮本の筋肉は瞬発系に優れたRR型で柔軟性も高い。敏博氏は「宮本の筋肉は柔らかく、押すと深く沈む。回復が早くケガをしにくい。義信、義行、宏実も柔らかい。メダリストの共通項」と解説する。国際連盟の選考ランキングは3位。「目標は義信さん以来の金メダル。東京五輪でオリンピアンになっても義信さんに近づいた気はしなかった。メダルを獲れば少しは近づけるかもしれない」と意気込む。

 決戦を前に義行氏からは本番で履くシューズと、四つ葉のクローバーとテントウムシが描かれたステッカーを贈られた。テントウムシは上に上る特性があり、頂点を目指す宮本に最適なデザイン。シューズのかかと部分には「MM」の文字も刻まれている。宮本昌典のイニシャルで、宮本&三宅の頭文字。かつて世界のウエートリフティング界を席巻した日本の“M”は、花の都で復権の時を迎える。 (木本 新也)

【義信氏 27歳の宮本は「最高のチャンス」】

 義信氏は宮本の第一印象を「変わったフォーム」だったと振り返る。「腰が高くてね、海外選手みたい。日本人は手足が短くて胴が長いから、普通は腰を落として前傾が深いんだけど、違った」

 腰高は強い背筋だけでシャフトを高い位置に引き上げる必要がある。一方で、前傾が浅いため、重心がぶれにくい利点もあった。悩んだ末、義信氏はフォームをいじらず、リズムだけを変えることにした。「ポン、ポン、とポン、ポン、ポン、の違いなんだよね」。その感覚的な言葉を具現化し、理想のフォームをつくり上げた。

 パリに同行しない師は試合当日の8月8日、東京都青梅市の武蔵御嶽神社で勝利を祈念する予定だ。宮本の27歳は、義信氏が無敵を誇った64年東京五輪から68年メキシコ五輪の間の年代。「力の出る、いい時期だよ。最高のチャンスだと思う」とエールを送った。

 ◇宮本 昌典(みやもと・まさのり)1997年(平9)2月3日生まれ、沖縄県出身の27歳。沖縄工高から東京国際大に進学し、現在は東京国際大職員。初出場の21年東京五輪は7位。好きな言葉は東京国際大ウエートリフティング部の部訓でもある「自分がやらずに誰がやる。今やらずしていつできる」。1メートル63。

 ▼三宅宏実さん 沖縄での全日本合宿で見た時から、スナッチが上手でジャークも落とさない(失敗しない)子だな、と思ってました。73キロ級は(トータル)1キロの間に選手がたくさんいる激戦階級。自分の力を発揮して、結果を出してほしいですね。

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