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「ミスター社会人野球」トヨタ・佐竹 都市対抗で有終へ 審判と制球力で対話 元NPB審判員記者が体感

スポニチアネックス / 2024年7月19日 5時2分

独特なフォームで投球練習を行うトヨタ自動車・佐竹(撮影・木村 揚輔)

 第95回都市対抗野球大会(スポニチ後援)は19日、東京ドームで開幕する。連覇を狙うトヨタ自動車(豊田市)は沖縄電力(浦添市)と開幕戦を戦う。16年に橋戸賞を獲得するなど「ミスター社会人野球」と称される佐竹功年投手(40)は今大会限りで現役を引退。11年から6年間、NPB審判員を務めた柳内遼平記者(33)が、ブルペン投球をジャッジし、レジェンド右腕の球道を目に焼き付けた。

 負ければ引退。佐竹は夏の高校球児のような心境で都市対抗に挑む。1月に今大会限りでの引退を発表した佐竹は「ミスター社会人野球」として知られる。14年日本選手権MVP、16年都市対抗橋戸賞…と、栄光の足跡を残してきた。アマ野球担当記者として、節目に際し「紙面に残さないといけない」と使命感を持っていた。

 愛知県豊田市にある野球部グラウンド。真っ赤なユニホームに身を包んだ1メートル69、71キロの右腕がブルペン入りした。レジェンドをジャッジできる幸せをかみしめるように「プレー!」をかけた。佐竹は耳の後ろでテイクバックを取る「超ショートアーム」。バドミントンのスマッシュのように投げ込む。2本の指が真上からかかり、リリースされた直球は美しいバックスピン回転だ。トーナメントで日本一を決める社会人野球では、動く直球で芯を外すよりも失投しないことが重要。ホームベースの角をなめる制球力が、この世界で生きてきた証だ。

 NPB審判員時代、「打者と勝負する」投手の球審を務めるときは比較的容易だが、ボールの出し入れで「球審と勝負」するタイプのときは大変だった。阪神時代の下柳剛の球審を務める際は神経をすり減らした。まるで「そこはストライク取るんか。ずっと投げたるからな」とテレパシーで伝えてくるようだった。佐竹も下柳タイプ。「ストライク!」とジャッジした位置からカットボールなどでボールを動かし、ゾーンの癖を探ってくる。「柳内さん、右打者の内が狭くて、外は広いね!」とすぐにバレた。

 最後の一球はアウトローへの渾身(こんしん)の直球。140キロ台後半は出ていただろう。レジェンドはレジェンドの姿で引退してもらう。心身ともに余力を残す状態で告げられた、夏をリミットとした引退通告だった。トヨタ自動車が敬意を込めて用意した佐竹への花道。18メートル44の距離でそう確信した。

 ◇佐竹 功年(さたけ・かつとし)1983年(昭58)10月14日、香川県小豆島生まれの40歳。小3で野球を始め、土庄中では捕手。土庄では甲子園出場なし。早大では通算4勝(4敗)。06年にトヨタ自動車に入社。16年都市対抗では初優勝に導き、MVPに相当する橋戸賞に輝いた。23年は39歳でアジア大会の日本代表に選出。1メートル69、71キロ。右投げ右打ち。

 【後記】ずっと尋ねてみたかった。「なぜプロ入りしなかったのか」と。すると、入社4年目、26歳のシーズンに「一番可能性があった」と答えてくれた。首脳陣から「まだ(スカウトが)お前のことを欲しいと言っている」と告げられたが、既に結婚し、子供もいたため固辞した。

 そこには「億を稼げるか」という明確な判断基準があった。「調子の良いときに活躍はできたかもしれない」と振り返る一方で、年俸が1億円を超えるには複数年の活躍が必要。「3~4年ずっとはできない」と分析した末の決断だった。何よりもトヨタ自動車の一員であることに誇りを持つ。マウンド上と同じく冷静な目で、己の生きる道を決めた。(柳内 遼平)

 ◇柳内 遼平(やなぎうち・りょうへい)1990年(平2)9月20日生まれ、福岡県福津市出身の33歳。光陵(福岡)では外野手としてプレー。四国IL審判員を経て11~16年にNPB審判員。1軍初出場は15年9月28日のオリックス―楽天戦(京セラドーム)。16年にMLB審判学校卒業。同年限りで退職し、公務員を経て20年スポニチ入社。

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