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東海大相模 横浜に逆転勝ちで5年ぶりV!原監督 涙の初甲子園「本当に苦しかった」

スポニチアネックス / 2024年7月25日 5時0分

<横浜・東海大相模>優勝を果たし歓喜の東海大相模ナイン(撮影・会津 智海)

 ◇第106回全国高校野球選手権神奈川大会決勝 東海大相模6-4横浜(2024年7月24日 横浜)

 第106回全国高校野球選手権(8月7日開幕、甲子園)の出場校を決める地方大会は24日、20大会で57試合(継続試合を含む)が行われた。神奈川大会では東海大相模が8回の劇的な逆転勝ちで横浜を下し、5年ぶり12度目の夏の甲子園出場を決めた。21年9月に就任した元巨人の原俊介監督(46)は就任後初の聖地となり、試合後は歓喜の涙も見せて選手たちの粘りを称えた。

 この景色を一生忘れない。横浜の空、愛する選手たちの笑顔が次々に登場する。原俊介監督が46年の人生初めて胴上げで舞った。「重くなったからなぁ…」と頭をかいた指揮官を屈強なナインは軽々と上げてみせた。

 「本当に苦しかったです。強い相模をつくらなければならないという思いでやり、生徒の頑張りによって達成できました。“ありがとう!”と伝えたい」

 劇的な逆転で決めた。2点を追う8回に1番・三浦誠登(まさと=2年)の2点中前打で同点とすると、3番・中村龍之介(2年)が左中間へ決勝の勝ち越し2点二塁打。前日の準決勝・向上戦も8回に3得点で逆転勝ちし、連日の「ミラクル・エイト」に「昨日は生徒の力を改めて目の当たりにして、今日もやってくれると信じた」と原監督。「苦しかった。目の前で先輩たちが負けるのを見てきた。その思いを背負って…」と中村も涙があふれ言葉に詰まった。

 東海大相模を春3度、夏1度の甲子園優勝に導いた門馬敬治監督(現創志学園監督)が21年夏限りで退任。同年9月に就任した原監督は初陣の秋季大会で優勝に導くも、それ以降は9大会続けて優勝に届かず。甲子園出場からも離れ「勝ち切ることは本当に難しい」と体感。一発勝負での勝利、人間的成長にも導く指導を両立する難しさがあった。それでも「夢中。夢の中で一生懸命やることが高校野球では大事」。この日も、負けた試合でも、選手の前でも涙を流してきた。選手と監督が一体となったチームは大一番で強かった。

 巨人選手時代は1メートル80、88キロの引き締まった体だった。時間を選手にささげる生活を送り、おなかには貫禄も。「(現体重は)ちょっとそこはね、言えませんので。大会が始まる前に6キロくらい痩せて、頼むよ胴上げって冗談を言った」と笑った。2度目の胴上げは甲子園で果たす。(柳内 遼平)

 ◇原 俊介(はら・しゅんすけ)1977年(昭52)8月30日生まれ、神奈川県出身の46歳。東海大相模では森野将彦(中日2軍打撃コーチ)らと3年春に正捕手として甲子園出場し、2回戦敗退。95年ドラフト1位で巨人入りし、06年限りで現役引退。通算成績は68試合で19安打、打率.224、3本塁打、10打点。16年から21年夏まで東海大静岡翔洋の監督を務めた。

 ≪4番・金本 自賛の通算20号≫2年生にして名門の4番を担う金本貫汰が特大アーチを放った。1点を追う5回に低め直球を完璧に捉え、右翼のウイング席前列に着弾する高校通算20号。今春の選抜から低反発バットが導入され、打者には逆風が吹くが「人生で一番よく飛んだと思います」と納得の一打。自身初の甲子園に向け「優勝できるように頑張りたい」と頼もしかった。

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