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プロゴルファーの坂田信弘さん死去 「原稿用紙が苦手」レストランの紙ナプキンにさらさらと…

スポニチアネックス / 2024年7月26日 4時27分

1998年、坂田信弘さん(後方)とVサインの「坂田塾」生徒(左から)成田いづみ・柴垣綾花・青山加織・古閑美保

 女子プロゴルファーの上田桃子や古閑美保らを輩出した坂田塾の塾長でプロゴルファーの坂田信弘(さかた・のぶひろ)さんが22日午前0時33分、福岡市内の自宅で死去した。76歳。死因などは明らかにしていない。葬儀は親族で行った。坂田塾で数多くのトッププロを育てる一方で、漫画「風の大地」をはじめとする原作やコラムなどの執筆活動でも活躍。多くのファンから支持を集めた異才が、静かに旅立った。 

 【悼む】京大文学部中退のユニークなプロが福岡・周防灘CCにいると聞き取材に行ったのは1979年ごろのこと。それが坂田さんだった。書くことに興味があると言うので84年の九州アマでスポニチ西部版に観戦記を依頼した。坂田さんは「原稿用紙が苦手」と言い、レストランの紙ナプキンにサインペンでさらさらと書き上げた。実はこれが坂田プロの原稿第1号。「それが文筆生活のきっかけだった。私が今日あるのはスポニチさんのおかげ」とことあるごとに講演会で持ち上げてくれた。

 主宰する坂田ジュニアゴルフ塾は1993年に熊本で開校。指導するコーチ陣は全員ボランティアで、練習場やゴルフコース、クラブメーカーの協力を募り生徒から一切お金を受け取らないという画期的なシステムだった。運営費は全て坂田さんが執筆活動や講演会で得た収入でまかなわれた。

 塾長の直接指導はなかなか厳しく、ときにはクラブのグリップで頭を「ゴツン」と叩かれる塾生もいた。それでも「坂田プロ!」と懐いて楽しそうにクラブを振っていたものだった。後に全国6校まで広がった坂田塾はゴルフ界の底辺を確実に広げた。それは坂田さんのジュニア育成への無限の愛とエネルギーのたまもので、大きな遺産だった。(西部総局特別編集委員・中島泉)

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