【100歳 甲子園球場物語】高野連の宝馨会長に聞く 甲子園球場の魅力や将来像
スポニチアネックス / 2024年7月30日 7時3分
甲子園球場100歳の誕生日が目前に迫った。100年の歴史をたどってきた当連載では、甲子園球場の魅力や将来像について、日本高校野球連盟(高野連)・宝馨会長(67)に聞いた。 (編集委員・内田 雅也)
――甲子園球場が100周年を迎えます。高校野球は甲子園とともに歩んできました。あらためて甲子園の魅力とは何でしょう?
「甲子園は夢や憧れの対象となっていますね。大観衆のなか、スタンドの観客と一体となってプレーができる喜びがあります」
――タイガースの試合も大観衆ですが、雰囲気は全く違います。
「甲子園の高校野球は選手もファンも一体となってつくりあげているのでしょう。郷土の代表としての誇りがある。中央への反骨心のある関西人の判官びいきが劣勢チームの背中を押す。敗れたチームに『また来いよ』と声が飛ぶ。選手だけでなく見る側の人びとにも愛されてきました」
――1924(大正13)年に大球場が建設されたのは高校野球(当時中等野球)が盛んになったためでした。
「甲子園は高校野球のためにつくられたと言ってもいいでしょう。当時まだプロ野球はありません。日本の野球は学校を中心とした学生スポーツとして広まりましたから」
――日本の野球が発展してきたのは、甲子園大会があったからだと思っています。
「野球をやり始めた少年がまず目指すのは甲子園だと思います。夢を抱き努力する。その努力を多くの人が応援してきたのです」
――その努力が甲子園出場としてかなう選手は限られています。
「もちろん甲子園への道は険しい。甲子園塾の初代塾長の尾藤公さん(元箕島監督)や初代技術振興委員長の吉川嘉造さん(元和歌山工監督)は『夏の初戦で敗れ、1試合で消えていく指導者に目を向けたい』と話していました。今も地方大会の敗者に寄り添う心は持ち続けています」
――夏の大会創設には会長の先輩、京大野球部の小西作太郎氏、高山義三氏の提案もありました。第1回大会(1915年・豊中)の参加章にはラテン語で「VICTIS HONOS」(敗者に栄誉を)と刻まれていました。日々練習するグラウンドに甲子園の心はあると言えます。
「高校3年間、実質2年半、心身を鍛えてレベルを高めていく。全国12万8千人の野球部員のうち、甲子園まで到達するのはわずかです。ただ、私も高校2年生の時、投手から一時、捕手に転向して二塁送球を練習しました。ある日、スッといい送球がいくようになった。普段の練習にも努力で上達する楽しみがあります。相手をリスペクトし敗者をたたえることは重要です。もう一つ大事なのはベンチにも入れない部員がたくさんいることです。3年間やりきったという達成感を次のステップや人生で生かしてほしいと願います」
――甲子園に憧れていましたか?
「新設校だった西宮北の2期生でした。造成したばかりのガタガタのグラウンドを整えました。当時、夏の兵庫大会は甲子園球場も会場でした。運良く3年続けて甲子園で試合ができました。京大では神戸大との定期戦で投げました。京大監督時代も合わせると甲子園で9試合もしています。いい経験でした」
――野球を始めるきっかけは何ですか。
「旧国鉄職員で電気技師だった父は野球好きで、職場で野球をしていました。小学1年の誕生日にグラブとバットを買ってくれたのです。甲子園球場の高校野球にも連れていってくれました」
――高校野球では技術だけでなく、精神も磨かれていく。
「礼儀を学び身なりを整える。質実剛健は大事です。高校の課外活動として健全なあり方を目指すべきです。甲子園が素晴らしい価値を持ちすぎたために本来の教育とは異なる、甲子園を目指すための学校運営になってしまっているところがあるのは皮肉な話とも言えます」
――教育と言い過ぎると反発もある?
「授業での知育に加えて、体育、徳育を担っているのです。厳しく自分を律して心身を鍛え、仲間とともにチーム力を高める。厳しくあってこそ得られる境地があるのです。それが本当の『学び』でしょう。学問や研究の世界も一緒ですよ」
――近年は選手や観客の健康面、酷暑対策に気を配っている。それでもなかには空調の効いたドーム球場や北海道などで開催すべきとの意見もあります。
「大会の歴史を踏まえ、選手、ファンのマインド……多様な意見があると思います」
――この夏は新たな試みとして朝夕2部制を採用します。
「3試合日のみですが、まず2部制の実施をして、4試合日にもできるか検討します。高校野球と甲子園は切っても切れない関係にあります。甲子園で開催する前提は崩さず、工夫をしながら多くの人びとに愛される甲子園大会、高校野球にしたいと思っています」
◇宝 馨(たから・かおる)1957(昭和32)年2月、滋賀県彦根市生まれの67歳。兵庫県立西宮北高から京大で投手。水文学(すいもんがく)などを研究しながら京大の監督と部長を務めた。京大名誉教授、工学博士。2021年12月から日本高野連会長。京大防災研究所長などを経て23年4月から防災科学技術研究所(つくば市)理事長。
※【100歳 甲子園球場物語】阪神・岡田彰布監督へのインタビューも掲載中
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