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【100歳 甲子園球場物語】阪神・岡田監督「最大の魅力は土」「シャーベットみたいやった」

スポニチアネックス / 2024年7月30日 7時3分

北陽1年の夏、大阪大会決勝で先制2ランを放ち、甲子園出場を決めた岡田彰布(1973年7月30日、日生球場)

 甲子園球場100歳の誕生日が目前に迫った。100年の歴史をたどってきた当連載では、100周年記念日の8月1日・巨人戦で指揮を執る阪神・岡田彰布監督(66)に話を聞いた。 (編集委員・内田 雅也)

 甲子園は特別な所やね。野球人みんなが憧れる。野球を始めたらまず「甲子園に出る」のが第一目標になる。

 誕生100年か。記念の誕生日に試合ができるのは光栄やね。

 最初に甲子園に来たのは幼稚園の時。阪神の後援者だった父親に連れられ、三塁側の一番前の選手の家族席で見ていた。巨人は長嶋さんがサード守ってたよ。もう60年以上関わっているんやなあ。

 最大の魅力は土よ。最初にグラウンドにスパイクを踏み入れた感触が忘れられん。シャキッと音がしたんよ。シャーベットみたいやった。ああ、これが甲子園かあって。

 北陽1年の夏に甲子園に出た。大阪大会決勝では先制2ラン。狭い日生球場ですぐホームラン打てる気がしたよ。それが大会前の甲子園練習に来ると広いなあって感じたよ。ファウルグラウンドも今よりずっと広くてね。

 初戦は第1試合で朝の一番きれいなグラウンドを味わえた。3回戦は日曜日で観衆5万6千の超満員。銀傘に歓声が響いてたわ。

 高校3年間で5回甲子園に行けるんちゃうかと思ったけどなあ。1年秋の近畿大会でベスト4に入って選抜当確のはずが、応援団の暴力事件で辞退。3年夏は投手で5連投したけど決勝で負けた。結局1度きりだった。

 阪神に入った当時はレフトに駐車場があって一塁側からグラウンド通って帰っていた。すると、じーやん(グラウンドキーパーの藤本治一郎氏)が夜中に懐中電灯照らして土を手でならしてたよ。あの姿見たら粗末にできんなと思ったよ。だから選手も皆、1回表の守りに向かう時、土の外側通っていた。今の選手もそうしてるな。

 ドームや人工芝より甲子園こそ野球場って感じよ。自然とともにあるのがええ。昔も今もこれからも変わらんやろう。 (談)

 ※【100歳 甲子園球場物語】高野連・宝馨会長へのインタビューも掲載中

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