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村尾三四郎 金メダル届かず…世界1位に敗れ初五輪は銀メダル 悔し涙堪える 内股惜しい…技の応酬で無念

スポニチアネックス / 2024年8月1日 1時30分

<パリ五輪 柔道>男子90キロ級、決勝で敗れた村尾三四郎(撮影・平嶋 理子)

 ◇パリ五輪第6日 柔道(2024年7月31日 シャンドマルス・アリーナ)

 男子90キロ級の村尾三四郎(23=JESグループ)が31日、決勝で世界ランク1位で東京五輪金メダルのラシャ・ベカウリ(24=ジョージア)に敗れ、銀メダル獲得となった。23歳で立った初五輪。目指してきた金メダルには、あと一歩届かなかった。

 開始44秒での大外刈り一本勝ちという鮮烈な五輪デビュー。23歳「令和の三四郎」が、王道スタイルで圧倒的存在感を見せ続けてきたが、最後の最後で無念の敗戦となった。最初にポイントを奪ったのは村尾だった。開始1分、谷落としで技ありを奪うと、そこからもハイレベルな技のかけ合い。2分40秒すぎには一瞬の隙を突かれて技ありを奪い返された。そして終盤は微妙な投げがお互いある中で、残り5秒に技ありを奪われ敗れた。微妙な判定、村尾の内股に対するビデオ判定がなかったことに場内はブーイングが鳴り響くなど騒然となった。

 村尾は畳を下りた後、涙を堪えながら「悔しいなっていう思いです。どんな…どんな状況になっても勝ち準備はしてきたので、自信を持って戦ったんですけど。なかなか自分の思い描いていた金メダルっていうのを獲れなくて、内容どうこうっていうよりも負けっていうのは自分にとっては本当にきついもので。そこが本当に悔しさが残ります」と語ると、目頭を押さえた。

 米国出身の母の下でニューヨークで生を受け、父の「生粋の日本人に育ってほしい」との思いから三四郎と名付けられたが、日本に戻って過ごした少年時代も、柔道は数ある習い事の一つに過ぎなかった。それでも次第にその魅力に取りつかれると、五輪王者は具体的かつ理想の目標となった。

 そのために10代の頃から自ら考え、その進路を選択してきた。中学は親元を離れ、1人姫路へ柔道留学。高校は桐蔭学園に進学すると、大学は過去の卒業生がほとんど進んでいなかった東海大の門を叩いた。進路を迷っていた際、上水研一朗監督から示されたのは、東京五輪に出場するための強化計画書。結果的に届かなかったが、22年以降は当初混戦模様だった90キロ級代表争いを抜け出し、パリ行きの切符をつかんだ。

 座右の銘は「BE REAL」。プロボクサー、マイク・タイソンも好むこの言葉を、「ただのチャンピオンじゃなくて、本物になるという意味」と解釈する。柔道スタイルは厳しい組み手から大胆かつ切れ味鋭い足技で攻める正統派。本物になることを追い求めながら、初めての五輪で金メダルにはあと一歩届かなかったが、大きな存在感を世界に見せつけた。

 ◇村尾 三四郎(むらお・さんしろう)2000年(平12)8月28日生まれ、米ニューヨーク出身の23歳。2歳で帰国し、幼稚園で柔道を始める。桐蔭学園高―東海大。男子90キロ級で23年世界選手権(ドーハ)3位。1メートル80、左組みで得意技は内股、大外刈り。

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