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【内田雅也の追球】「これでいいのだ」 あきらめず、受けいれて前に進む姿勢

スポニチアネックス / 2024年8月3日 8時2分

<D・神> 8回、佐野を打ち取った桐敷(左)に拍手を送る岡田監督 (撮影・須田 麻祐子)

 ◇セ・リーグ 阪神4―2DeNA(2024年8月2日 横浜)

 阪神最大のピンチは8回裏2死満塁だった。先発・村上頌樹が失点して2点差。2番手・石井大智が申告敬遠の後、佐野恵太を迎えていた。

 監督・岡田彰布は3番手として桐敷拓馬を告げた。テレビ解説の槙原寛己が「石井は信頼できる投手。その石井が打たれたら仕方ない、とならないところが阪神の強さですね」と語っていた。

 確かに、岡田は「仕方ない」を嫌う。「○○で負けたら仕方ない」は「負けた時の言い訳に聞こえる」という。ピンチに「エースと心中」といった監督の姿勢を否定する。「なんで心中なんかせんとあかんの。勝つために他に方法があれば、そうすればええやん」。だから、仕方ないことはない、と策を巡らせる。分厚い救援陣をつくり、備えている。

 果たして桐敷は佐野を圧倒した。初球、2球目と胸元を速球で攻め、前に打球が飛ばない。連続ファウルで追い込んだ。死球なら押し出しだが、平気と映る立ち居振る舞いがいい。連続胸元速球の時点で勝負ありだったろう。仕上げはフォークで二ゴロに切った。

 桐敷の好救援にも岡田は「ふつうやろ」と平然と話した。高い信頼を物語る。「先見の明があったんやろ」と自慢したのは昨年7月のフレッシュオールスターでの投球をテレビで見て、1軍に抜てきしたことを指す。そして「スペードのエース」となった。あれからちょうど1年である。

 さて、先に書いた「仕方ない」である。西本幸雄は青年将校として1945(昭和20)年8月の終戦を中国中部の衡陽郊外で迎えた。引き揚げは翌年6月。何度も足止めされた現地では「没法子(メイファーズ)」という言葉が流行っていたと聞いた。「仕方ない」という意味だ。やるせないといった語感だった。

 同じく中国で終戦を迎えたのが漫画家・赤塚不二夫である。旧満州で生まれ育ち、母に手を引かれて引き揚げた。やはり「没法子」が心に残った。ただ、赤塚はこの言葉を前向きにとらえた。バカボンのパパの言う「これでいいのだ」である。「仕方ない」とあきらめず、良くも悪くも受けいれて前に進むのだ。

 今の阪神である。どんな状況でも監督も選手も「これでいいのだ」と思える。強さの源だろう。

 この日は2008年、72歳で逝った赤塚の命日だった。 =敬称略= (編集委員)

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