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耳に残る仁さんの「稽古、行け」父さんごめん、柔道・斉藤「力不足で…」遺影抱く母の前で無念メダルなし

スポニチアネックス / 2024年8月3日 2時32分

<パリ五輪 柔道>男子100キロ超級、準決勝で敗れる斉藤立(撮影・平嶋 理子)

 ◇パリ五輪第8日 柔道(2024年8月2日 シャンドマルス・アリーナ)

 個人戦最終日となる2日、男子100キロ超級が行われ、斉藤立(たつる、22=JESグループ)は5位に終わり、金メダル獲得を逃した。準決勝で金民宗(キム・ミンジョン、韓国)に一本負け。3位決定戦でも敗れた。15年1月20日に胆管がんのため54歳の若さで亡くなった父で84、88年五輪2連覇王者の仁さんとの父子制覇を目指したが、届かなかった。ニッポン柔道は2日連続でメダル獲得を逃した。

 仁さんの思い、父亡き後に女手一つで育ててくれた母・三恵子さんの思い、日本柔道界の悲願、そして何より本人が不退転の決意で目指した金メダルへの挑戦は、地元フランスの英雄リネールが待つ決勝を前に終わった。

 「力不足でした。応援してくれた家族にここで諦めたら申し訳ないという気持ちで(3位決定戦に)立ったんですけど、本当に自分の力不足で…。情けない気持ちでいっぱいです」。父の遺影を手にした母ら家族が見守る中、3位決定戦で強豪ユスポフに一本負けした直後に「力不足」を繰り返した。

 準決勝は今年の世界王者、金民宗と対戦。男子最重量級とは思えぬ技のスピードを誇る相手に2分45秒、低い姿勢からの背負い投げを食らうと、きれいに畳に転がされた。うつぶせで主審の右手が上がったのを確認すると、左手で1回、畳を叩き、顔を伏せた。

 最愛の父・仁さんが亡くなってから3482日目。その前日、結果的に最後の言葉となった「稽古、行け」に絶望していた12歳の少年は、本気で五輪を目指す中で父の偉大さに気付かされ、教わってきたことの大切さを実感することになった。

 「釣り手を立てろ」「けんけんで追うんだ」「おまえが将来相手にする選手は、2メートルを超える巨人だぞ」「謙虚になれ」「稽古はうそをつかない」

 年齢を重ね、試合を繰り返し、より高いレベルの相手と組み合う中で、思い出すのは小1で柔道を始めた時から、仁さんに口酸っぱく言われ続けた言葉の数々だった。昨年4月の全日本選手権。優秀指導者表彰では仁さんを指名。代わって表彰式に出てもらった母・三恵子さんには、自室に飾る遺影を渡した。

 その写真の仁さんは、鬼の形相を浮かべている。88年、全日本選手権で初優勝した直後に撮影された1枚だ。膝の大ケガを乗り越え、同年夏のソウル五輪への道を切り開いた際の父の表情に、「小中学校の時はロサンゼルスの全盛期の根こそぎ持って行く柔道に憧れた。最近はソウルの方が心に来る。こんな人はいない」と心を打たれた。天国で見守る父へ、表彰台の一番高い場所から、感謝の思いを伝えるはずだった。

 父と同じ金メダルを目指した初めての五輪は5位に終わった。仁さんの教え子でもある男子日本代表の鈴木桂治監督が「日本柔道の悲願」という男子最重量級の金メダル奪還は、険しい道のりであることを突き付けられた。

 ◇斉藤 立(さいとう・たつる)2002年(平14)3月8日生まれ、大阪府出身の22歳。東京・国士舘高、国士舘大を経て、今年4月からJESグループ所属。小1から兄・一郎さんとともに柔道を始める。小6で全国少年大会、中3で全国中学校大会を制覇。19年には史上最年少の17歳52日で全日本選手権に出場、22年には史上初の父子制覇を果たした。同年世界選手権は初出場で2位。父・仁氏は84年ロサンゼルス、88年ソウル大会を連覇、男子日本代表監督や強化委員長を歴任し、15年1月に胆管がんのため54歳で死去。1メートル92、165キロ。

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