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いっこく堂 「君は一人でやった方がいい」と助言してくれた“恩人” 「今でも忘れない」出来事とは

スポニチアネックス / 2024年8月3日 17時1分

いっこく堂

 腹話術師のいっこく堂(61)が、3日放送のフジテレビ系「ぶらサタ・タカトシ温水の路線バスで!」(土曜隔週正午)に出演。恩師とのエピソードを語る場面があった。

 いっこく堂は、モノマネ芸人から役者となり、腹話術師になった経歴を持つ。モノマネ芸人を目指したのは、役者になるためだったといい「役者になるんだったら、何か目立つような武器がないといけないんじゃないかって。それで高校3年生の時にモノマネを始めた」と明かした。

 テレビ番組出演などを経て、元いた事務所から引き抜かれて別の事務所に所属したものの、来る仕事は営業ばかり。「キャバレーで司会とか、1カ月間ホテルで司会やるとか、そういうのばっかりだった」と思ったような仕事ができなかった。

 「役者になるために出てきたのに、自分は何をやっているのか」と、もう一度役者の勉強をしようと思い直して22歳の時に劇団民芸に加入。そこでも思い悩み、自分に合うパフォーマンスを身につけたいと考えたところ、行きついたのが中学生の頃にあこがれた腹話術だった。

 そんな中で恩師として挙げたのが、俳優・演出家の米倉斉加年(まさかね)さん。「28歳の時に、宴会で披露した芸を米倉さんが見て、“君は一人でやった方がいい”って言ってくれて。それで、劇団の旅公演があるにも関わらず米倉さんが“芸人になるためには1人でトークしなきゃいけないから、面白くなくてもいいからトークやりなさい”ってことで毎日トークを見てくれて。2~3カ月くらい」と振り返った。その後、いっこく堂は独学で腹話術を習得。米ラスベガスでも大絶賛されるなど、海外にまで活躍の場を広げるようになった。

 「今でも忘れない」と言うのは、2013年の出来事。米倉さんと同じ新幹線に乗っていることが降りる時に分かり、いっこく堂は立ち上がって挨拶した。すると「米倉さんが、パッと僕のことを上から下まで見て。うわ、なんかダメ言われるよと思ったら、“感心しているんだよ。よく頑張った”って初めて褒めてくれたんです」と語った。

 その1年後の2014年に米倉さんは亡くなり、それが最後の言葉となった。「最後に褒めてもらったのかなあっていうのは、ありますね」としみじみ語っていた。

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