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シダマツやった!結成11年目での銅メダル 涙の準決勝から一夜、マレーシア組に快勝

スポニチアネックス / 2024年8月3日 22時48分

<パリ五輪・バドミントン女子ダブルス3位決定戦>第1ゲーム、得点を奪い喜ぶ松山(右)と志田(撮影・岡田 丈靖)

 ◇パリ五輪第9日 バドミントン 女子ダブルス3位決定戦(2024年8月3日 ポルトドラシャペル・アリーナ)

 女子ダブルスで世界ランキング4位の志田千陽(27=再春館製薬所)松山奈未(26=同)組は3日、3位決定戦で同12位のパーリー・タン、ムラリタラン・ティナア組(マレーシア)と対戦し、21―11、21―11でストレート勝ちして銅メダルを獲得した。同種目の日本勢では12年ロンドン大会銀の藤井瑞希、垣岩令佳組、16年リオデジャネイロ大会金の松友美佐紀、高橋礼華組に続くメダルとなった。

 「シダマツ」ペアは第1ゲーム、2―3からの5連続ポイントでペースをつかんだ。左右に振られたシャトルをしっかり拾い、浅く浮いた相手の返球をネットに詰めて次々と叩き込んだ。松山が前衛に入る得意のパターンだけでなく志田が前へ出る展開も多く、抜群のコンビネーションで長いラリーも制した。第2ゲームも序盤から得点を重ねて押し切った。

 シダマツペアが誕生したのは14年、ジュニア日本代表の合宿だった。当時、志田は青森山田高1年、松山は福岡・九州国際大付中3年。互いにパートナーがいなかったため急きょペアを組んだ。

 それ以前に行われた日韓交流戦で初めて会話を交わし、意気投合。その後はメールで連絡を取り合うなど気が合った2人は「ダブルスを組みたいね」と話していた。コート上での相性も抜群だった。最初に出た韓国での国際大会でいきなり優勝し、周囲を驚かせた。志田は「松山が前衛でトリッキーなプレーをして、私が後衛でカバーする。楽しくできた」と回想。松山は「ローテーションしやすくて、組んでいて楽しかった」と振り返る。

 20年にA代表入り。東京五輪には出場できなかったが、サポート役でチームに同行。「次は自分たちが出る」と3年後のパリへの思いは強くなった。

 飛躍のきっかけになる出来事があった。東京五輪後の21年10月、志田が負傷離脱中に松山は16年リオ五輪女子ダブルス金メダルの松友美佐紀と組んで試合に出場した。松山の本職は前衛だが、後衛でプレーしたことでカバー能力が向上した。そして前衛のスペシャリスト松友のプレーも勉強になった。松山は「松友さんの前への入り方、球出しなどを真似した。それに後衛が苦手だったけど、後衛でも大丈夫という余裕もできた」と効果を口にした。

 志田が復帰すると、バージョンアップしたシダマツペアは22年、ツアーで最も権威が高い全英オープンを初制覇。23年には世界ランク2位まで浮上し、代表選考レースを日本勢トップで勝ち抜きパリ五輪切符を獲得。初出場の大舞台で堂々のメダルをつかんだ。

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