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桂米丸さん、99歳大往生 新作落語の第一人者だった現役最高齢落語家、弟子・歌丸さんの元へ

スポニチアネックス / 2024年8月6日 5時1分

84年、高座に上がる桂米丸さん

 現役最高齢の落語家、四代目桂米丸(かつら・よねまる、本名須川勇=すがわ・いさむ)さんが1日午後4時45分、老衰のため東京都内の病院で死去した。99歳。横浜市出身。葬儀は近親者で行った。喪主は長女倉田信子(くらた・のぶこ)さん、次女平井いずみ(ひらい・いずみ)さん。入門からの78年を新作一筋で通した。2000年から落語芸術協会の最高顧問として後進の育成にも尽力した。

 柔らかい語り口と柔和な笑顔で親しまれ、90歳を過ぎてもお笑いを届けた米丸さんが人生の高座を下りた。

 関係者によると、2019年9月が最後の寄席。以降はコロナ禍と高齢を理由に寄席には出ていない。その後の数年は数カ月に一度のペースで協会に電話を入れ近況を尋ねていた。落語芸術協会は「長きにわたり落語界の指導者であり続けました。新作落語の第一人者としても最晩年まで創作意欲が衰えることはありませんでした」とコメントしている。

 1946年、五代目古今亭今輔に入門。師匠の「古典は上手な人が多いから新作をやりなさい」とのアドバイスを忠実に守った。49年に四代目米丸を襲名し、入門からわずか3年で真打ちにスピード昇進した。

 艶のある高めの声で披露する「びっくりレストラン」「タクシーの怪」「若き日の思い出」などサラリーマンや庶民の生活を描いた新作で人気を得た。NHK「お好み演芸会」や「お笑いマンガ道場」の司会、「お笑いスター誕生!!」の審査を担当するなどテレビやラジオでも親しまれた。

 76年に日本芸術協会(現・落語芸術協会)の三代目会長に就任。99年に会長職を十代目桂文治に譲り、顧問に就任。

 自身は新作派を貫いたが、弟子の芸には寛容。古典志向だった桂歌丸さんを認め、桂米助のヨネスケへの改名にも理解を示した。一方、頑固さも持ち合わせ、席亭との意見対立で芸協会長時代の84年に上野鈴本演芸場から撤退した。家電好きで、ビデオカメラが趣味。弟子の稽古や初舞台などを撮影し、貴重な資料になっている。

 ▼桂 米助(落語家) 師匠・桂米丸が亡くなりました。師匠は僕が高校卒業後すぐに内弟子として弟子入りさせてもらい57年もの長きにわたって面倒をみてくれました。僕は父親がいなかったものですから、米丸は本当に父親のような存在でもありました。師匠・米丸への感謝とご冥福をお祈りさせていただきます。

 ▼春風亭 昇太(落語芸術協会会長) 新作落語のトップランナーとして、落語界の発展に貢献されてきました。長きにわたり高座を務められた99年間の立派な人生に、尊敬と感謝を込めてご冥福をお祈りいたします。

 ▼神田 伯山(講談師)落語芸術協会の生き神様みたいな存在でした。どこかで協会員の心の支えだったと思います。前座の頃、着付けさせていただいている時も、歴史上の人物にしているような気持ちを覚えたのは師匠だけです。

 桂 米丸(かつら・よねまる、本名須川勇=すがわ・いさむ)1925年(大14)4月6日生まれ、横浜市出身。都立化学工業専門学校(現・都立大)卒。46年に芝居関係の仕事をしていた兄の勧めで入門。古今亭今児の名をもらう。出ばやしは「金比羅舟々」。92年紫綬褒章、98年勲四等旭日小綬章。

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