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それは渡り廊下から始まった フェンシング 競技別メダルランキング1位に!

スポニチアネックス / 2024年8月6日 5時17分

一夜明け会見のフォトセッションで金メダルを手にフェンシングポーズを決める男子フルーレ団体の(左から)永野、飯村、松山、敷根

 パリ五輪フェンシングの最終種目、男子フルーレ団体決勝が4日に行われ、松山恭助(27=JTB)、飯村一輝(20=慶大)、敷根崇裕(26)、永野雄大(25=ともにネクサス)で臨んだ世界ランキング1位の日本は同2位のイタリアを45―36で破り、初の金メダルを獲得した。フェンシングは全日程が終了し、日本は金2、銀1、銅2の計5個を獲得。ワンチームの戦いで、競技別メダルランキングでも堂々の1位と大躍進を遂げた。

 メダルランキング1位への道は、渡り廊下に設けられた、たった4本のピストから始まった。2008年1月に東京都北区に開所した味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)。各競技の強化拠点がひしめく延べ床面積約2万9000平方メートルの施設で、フェンシングにあてがわれたのは国立スポーツ科学センターとの渡り廊下。それまで五輪で獲得していたメダルは「0」。競技実績、国際競争力を反映した結果だった。

 当時を知る青木雄介監督は「みんなが押しかけるので日にちや時間を分けて練習した」と懐かしむ。同年夏の北京五輪で太田雄貴が初のメダルをもたらすと、風向きは一気に変わった。その後、レスリング場の移転で空いたスペースに移り、19年にはNTCイーストに30本のピストを持つ練習場が完成。男女各3種目の選手が一堂に会して練習することで、「コーチ同士、選手同士も刺激になる。非常にいい循環ができている」。パリでのメダル量産につながった。

 ソフト面では本場欧州から優秀な指導者を招聘した。03年にウクライナからフルーレ担当のオレグ・マツェイチュク氏を招き、太田のメダル獲得で結実すると、その流れは加速した。東京五輪後に就任したフランス出身のエルワン・ルペシュー・コーチは、同五輪フルーレ団体の優勝メンバー。代表クラスの指導実績は皆無だったが、「ほとんどの選手がエルワンの壁を越えられず、こてんぱんにされてきた。東京で4位だった選手が一番学べる人は誰だとなった時、絶対に勝てなかった人だろうと」。狙いは的中。各コーチが世界に持つネットワークも強化につながった。

 開幕前はメダル目標を「2個」と控えめに語っていた青木監督。「(予算を)カットした方がいいと言われたこともあったが、そこに投資をしないと勝てなかった」と誇らしげだった。

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