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【内田雅也の追球】秋に待つ「いいこと」への窮地 士気を高め、息を吹き返した39年前のごとく奮起を

スポニチアネックス / 2024年8月13日 8時2分

日航機事故で他界した中埜肇球団社長の墓前に手向けられたサイン入り優勝ウイニングボール(甲子園歴史館展示)

 ◇セ・リーグ 阪神0ー1巨人(2024年8月12日 東京D)

 この時期に来ての0―1敗戦はつらい。しかも「スミ1」だった。得点圏に走者を置いたのが8回表2死からの島田海吏二塁打の1度だけという零敗だった。

 何より巨人先発の山崎伊織に牛耳られた。7回表2死まで6回2/3で2安打無得点だった。

 1回表先頭から3人続けてカウント3ボール―2ストライクのフルカウントとなった。制球が乱れていると言うより、より慎重に、そして攻撃的に投げてくる姿勢が感じられた。5回までフルカウントとなった打者はのべ8人にのぼった。投球数が98球を数えていた。

 「消耗戦」という観点で見れば、阪神は優位に立っていたと言えるかもしれない。だが、現実には山崎伊の球威に押されっぱなしだった。

 フルカウントを俗に「投手、打者ともにイン・ザ・ホール」と言う。古くからある言い回しで、1928(昭和3)年発行『スポーツ年鑑』(大阪毎日新聞社)に<あながち間違いとはいはぬが、よく野球家が口にするピッチャー・イン・ゼ・ホールは和製だ>とある。穴、つまり窮地に追い込まれた状況を指す。

 この窮地での結果が、そのまま優劣を決したと言えるだろう。フルカウント8人の結果は5打数無安打、3四球だった。四球の後も攻撃をつなげることができなかった。

 8月12日は阪神にとって忘れられない日だった。1985(昭和60)年、日航機墜落事故があり、当時球団社長だった中埜肇が犠牲となった。

 中埜の妻・トシに聞いた話を思い出す。出張に出た朝、最後となる夫の言葉が耳に残っていた。「あの日『今年は秋にいいことがありそうだよ。あんまり口に出しちゃいけないらしいけどね』と話していました。わたしが『なあに?』と聞いても、ただ笑っているだけでした」

 「いいこと」とは当時禁句にしていた「優勝」だった。阪神は事故翌日の巨人戦から6連敗を喫した。当時選手会長だった岡田彰布(現監督)は連敗中、遠征先の広島で集合をかけた。選手だけの緊急ミーティングだった。優勝争いの正念場で窮地に立ち「ここまで来たら負けられん」と士気を高めあった。息を吹き返し、21年ぶりの優勝を成し遂げた。中埜の霊前に優勝ウイニングボールを供えたのだった。

 今の阪神もまた優勝への窮地に立つ。奮起のときである。 =敬称略=

 (編集委員)

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