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【甲子園】京都国際「中崎→西村」最強コンビ継投 44年ぶり「左腕のみ」で頂点つかんだ!

スポニチアネックス / 2024年8月24日 5時3分

<関東第一・京都国際>延長10回、三振に取り歓喜する京都国際・西村(右)と奥井(撮影・中辻 颯太)

 ◇第106回全国高校野球選手権大会決勝 京都国際2-1関東第一(2024年8月23日 甲子園)

 甲子園誕生100周年は、左腕の夏になった。歓喜の輪の中心にいたのは、京都国際の2年生・西村だ。2―0の延長10回に登板。自身失策で無死満塁を招くも、1失点にとどめ、最後はスライダーで空振り三振。今大会24イニング連続自責0を貫いて激闘を締め、「頭が真っ白」と駆け寄る先輩と抱き合った。

 西村にバトンを託した先発左腕・中崎は、エースの誇りを示した。青森山田(青森)との準決勝で4回2失点に終わり、「恩返しする」と腕を振った。4回以降は毎回走者を背負うも、同点の9回2死満塁を右飛に仕留めるなど我慢強かった。

 史上初の決勝タイブレークの舞台裏はドタバタ。センス抜群の西村は10回先頭の代打から出場も、「代打で出ると聞き逃していて…」と慌ててブルペンから打席へ。指示は犠打。極端なバントシフトに対しバスターに切り替えた。技ありの左前打から一挙2点が生まれ、舞台は整った。

 今大会に登板した投手は、中崎と西村の2人。野手は左腕二枚看板を堅守で支え、躍進を起こした。しかし冬場、投打の絆はちぎれる寸前まで来ていた。当時主将だった中崎は野手陣に物足りなさを隠さず、得点力不足の打線は投手陣からの不満を肌で感じ取っていた。溝を埋められずにいた選抜直前、「投手も野手も本音で話し合おうや」と選手間ミーティングが開かれた。その場で正遊撃手の藤本陽毅が「俺が引っ張る」と熱い思いをぶつけると、中崎は「本当はエースと主将の兼任が苦しくて…」と全員の前で涙を流した。

 責任感に苦しむ中崎を救おうと、入寮初日から練習相手を務める山村遥(はる=3年)が寮の部屋をノックした。「野手もどの高校よりも練習してるで。支え合おうや」。本音をぶつけ合い、切れかけた絆は太くなった。

 今春選抜の初戦敗退後、小牧憲継監督は語気を強めた。「日本一になると口先だけのチームは何度も見てきたわ」。新チーム結成当初、指導者から「ここ10年で一番弱い」と告げられた。エースの中崎は言う。「日本で一番やってきた練習は無駄ではなかった」。仲間とぶつかりながら全員で支え合って積み重ねた努力の結晶が、輝く栄冠へとつながった。  (河合 洋介)

 ◇中崎 琉生(なかざき・るい)2006年(平18)8月19日生まれ、兵庫県西宮市出身の18歳。小学3年から高木少年野球団で野球を始め、投手。瓦木中では関メディベースボール学院でプレー。京都国際では1年秋からベンチ入り。最速144キロ。50メートル走6秒5、遠投90メートル。1メートル78、78キロ。左投げ左打ち。

 ◇西村 一毅(にしむら・いっき)2007年(平19)7月7日生まれ、滋賀県甲賀市出身の17歳。小学2年から水口少年野球団で野球を始め、水口中では近江ボーイズに所属。京都国際では1年秋からベンチ入り。最速143キロ。50メートル走6秒7、遠投80メートル。1メートル77、66キロ。左投げ左打ち。

≪データ≫

 ○…京都国際の投手で初戦から決勝まで登板したのは、中崎と西村の左投手2人。登板した投手が左腕のみで優勝するのは、1980年横浜(神奈川)の愛甲猛、川戸浩以来44年ぶり。

 ◯…京都国際の西村一毅(2年)は、大会通算4試合24イニングを投げて自責0、防御率0・00で優勝。優勝校の主戦投手の防御率0・00は1971年桐蔭学園(神奈川)・大塚喜代美以来53年ぶりとなり、74年の金属バット導入後では初の快挙となった。大塚は初戦から全5試合計45イニングを一人で投げ、計2失点(自責0)で頂点に立った。

 ◯…京都国際の優勝により、京都勢は1956年の平安以来68年ぶりに夏の全国制覇を達成。これは、東京勢の60年ぶり(16年慶応普通部~76年桜美林)を抜き、夏の選手権大会における都道府県勢の最長ブランク優勝となった。

 ◯…京都国際が春夏通じて初の全国制覇。過去に春夏の全国大会に出場した「国際」が校名に入る学校はクラーク(クラーク記念国際=北海道)、京都国際(京都)、神戸国際大付(兵庫)、下関国際(山口)、九州国際大付(福岡)の5校。昨年までの「国際」最高成績は22年夏の下関国際の準優勝が最高。

≪メモ≫

 ▽京都国際 1947年に創立した京都朝鮮中学が前身。58年に学校法人京都韓国学園として認可を受ける。日本・学校教育法第1条校の認可を受け、日本の教育課程も学ぶ私立校として2004年から現校名で開校。京都韓国学園時代の1999年4月創部の野球部は、初の外国人学校硬式チームとして日本高野連に加盟。甲子園大会は21年春に初出場以降、春2度、夏3度出場。現在の全校生徒138人(男子68人、女子70人)。野球部員は3学年61人(3年18人、2年20人、1年23人)。主な野球部OBにDeNA・森下、阪神・中川、広島・曽根らがいる。

≪Vナイン喜びの声≫

(2)奥井颯大 最後、自分のミットにボールが入っているのを見て、やっと日本一が達成できたなと。中崎は気持ちが強いので、「冷静に、冷静に」と。西村は、自分が奮い立たせる感じでリードしていました。

 (4)三谷誠弥 絶対に外野の間に打ってやろうと思っていたんですけど、ライナーになってしまった。清水がよく走ってくれた。みんなで取った1点だと思います。甲子園は自分の100%の力を120%に変えてくれるような凄い球場でした。

 (8)沢田遥斗 引きつけて逆方向へ強く打つ意識を持っていた。大会を通じて調子は良くなかったが、(決勝の2安打で)チームに貢献できました。

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