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八代亜紀さん 前兆なかった膠原病 入院から111日で急死 声守るため処置拒む「歌えない人生は…」

スポニチアネックス / 2024年9月1日 10時43分

八代亜紀さん

 日本テレビ系「24時間テレビ47」(31日後6・30~1日後8・54)が放送され、昨年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため死去した八代亜紀さん(享年73)の最期の111日の闘病が明かされた。

 八代さんの死は今年1月に明らかになり、世間を驚かせた。昨年9月、皮膚炎の症状を伴う膠原病と診断されたことを公表し、休業を宣言している中での突然の訃報だった。膠原病は自分を守る仕組みである「免疫」の一部が暴走し、自分自身の組織や細胞を攻撃する自己免疫疾患の一つ。皮膚炎を伴う膠原病の代表に皮膚筋炎があり、八代さんは「抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎」で、死因は「急速進行性間質性肺炎」だった

 前兆はなく、突然異変が現れたのが昨年8月25日だったという。乾いた咳が出始めたという。それでも、同28日、誕生日の前日の生誕コンサートではいつもと変わらず歌声を披露していた。ただ、手に赤い発疹ができていたという。

 同31日には香川県でロケを行い、その時一緒だった親交のある新田純一は「凄く食欲あるし、おいしそうにうどんを食べていて、調子悪いのかなとか、心配になる気配も感じなかった」と証言した。

 9月4日、診察で膠原病の疑いが指摘され同8日、血液検査で、膠原病からくる間質性肺炎と診断された。翌9日にコンサートへ出演後、10日に入院。入院12日後に八代さんは休業を発表した。

 入院から2週間して、病気に打ち勝ったように元気になっていたという八代さん。数値も落ち着き、薬の量も減らすことになったといい、マネジャーは「いつもの八代さんのまま療養している感じでしたね」と振り返った。

 入院中、50年来の付き合いで、元付き人の中村たつえさんに八代さんは「私、80歳過ぎても歌っていたいな。婆さんに80歳のら『舟歌』聞かせると思ったらワクワクしてきた」と話していたという。

 12月10日、このまま退院を期待した矢先、医師から「血液の酸素濃度が低下しています。薬の量を減らすと、肺への攻撃が再び強くなっています。退院時期を遅らせて、もう少し様子を見させてください」と言われたといい、八代さんも「こんなに元気なのにですか?」と驚いたという。

 その検査から1週間で、八代さんの容体は悪化。マネジャーは医師から「肺の炎症が悪化して、かなりのダメージを受けています。口から直接、気管にチューブを挿入して外から呼吸を補助してあげなければ危険な状況です。そのあとは声帯の下の気管の軟骨を切除して、そこからチューブを挿入して、酸素を送れるようにします」と説明を受けたといい、八代さんはこの話に「声帯が傷つくってこと?私、このままでいい。この声がなくなったら八代亜紀じゃない。歌えない人生は考えられない。歌えないんだったら死んだ方がマシだわ」と処置を拒んだという。

 数日前から意識が無くなっていたという同30日。八代さんの元に仲間やスタッフが集まっていたといい、八代さんは一筋の涙を流したといい、静かに息を引き取ったという。たつえさんは「苦しかったでしょうから、みんなに言わなかったから。本当に穏やかな顔していましたね。涙が出てるのが凄い気になりました。あれだけが何を言いたかったんだろうな。本当に幸せだった、一言です。感謝、感謝です」と話した。

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