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敏いとうさん死去 娘・実奈さん「ハワイアンの音楽を聴いたまま息を…」 フランク・シナトラさんとも親交

スポニチアネックス / 2024年9月15日 4時32分

85年、来日したフランク・シナトラさん(左)と敏いとうさん

 「よせばいいのに」などのヒット曲で知られる「敏いとうとハッピー&ブルー」のリーダー、敏いとう(とし・いとう、本名伊藤敏=いとう・さとし)さんが10日午後5時21分、前立腺がんのため横浜市内の病院で死去した。84歳。熊本県出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。娘の実奈さん(35)が本紙の取材に明かした。

 4年前に前立腺がんと診断され、2年前には脳梗塞を発症。今年4月にはがんの骨転移が見つかって入院した。2カ月で退院し、7月には家族で東京ディズニーシーに行くまでに回復したが、その後、リンパと肺にも転移した。

 体調不良を訴え、今月8日に入院。前日まで元気で、入院後も亡くなる2時間前まで見舞客に明るく振る舞って対応していたが、午後4時半ごろに容体が急変。死の数分後に病室に駆け付けた実奈さんは「穏やかな表情で眠っているようでした。イヤホンで大好きなハワイアンの音楽を聴いたまま息を引き取りました」と振り返った。闘病生活中も「ウクレレを弾きたい」と言いながら作曲をするなど、音楽への意欲は衰えなかったという。

 1971年にグループを結成。79年に発表した「よせばいいのに」がオリコンチャート2位を記録。TBS「ザ・ベストテン」でも11週連続ランクインし、話題となった。

 敏さんは持ち前の社交性で国内外の音楽界やスポーツ界などに広く人脈を築いた。代表的なのは米エンターテインメント界の巨匠、フランク・シナトラさん(98年死去、享年82)との親交。大学卒業後に渡米すると、現地のカジノで客に絡まれているところを空手、柔道ともに有段者の敏さんが救ったことで交友が始まった。「ブラザー」と呼ばれる仲で、シナトラさんの62年の初来日時には警護やホテルの手配などを行った。親交はシナトラさんが亡くなるまで40年近く続いた。

 実奈さんは「本当に子煩悩で、母が好きな可愛いパパでした」と、家族思いだったことを明かした。愛妻家だった敏さんは2年前、夫人に先立たれ、泣き崩れるほどのショックを受けていたという。「あっち(天国)に行っても一緒になりたい」と夫婦位牌を作っていたといい「母は“またこっちでも面倒見ないといけないの?”って明るく言っているんじゃないでしょうか」と思いをはせた。

 ≪10年国民新党から参院選に出馬も≫晩年の敏さんは、2010年に国民新党から参院選に出馬したことが話題となった。選挙戦では「外国人参政権と夫婦別姓(の導入)、よせばいいのに」など、ヒット曲のタイトルを交えたユニークな政策を演説などで訴えた。当初、家族や周囲は出馬に猛反対だったという。当時大学4年生で車上運動員を務めた実奈さんは「大変な思いをしましたけど、ウグイス嬢もやることができて、今となってはいい思い出です」と振り返った。

 敏 いとう(とし・いとう、本名伊藤敏=いとう・さとし)1940年(昭15)1月3日生まれ、熊本県出身。青学大経済学部、日大農獣医学部卒。青学大時代はアメフト部に所属。71年に「敏いとうとハッピー&ブルー」を結成。主なヒット曲に74年の「わたし祈ってます」、77年の「星降る街角」など。リーダーの敏さんは「ムード歌謡の帝王」と呼ばれた。

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