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阪神・秋山が引退 記者1年目から“同期”の背中をずっと追いかけられた15年間の幸運

スポニチアネックス / 2024年9月16日 5時16分

2010年8月21日、巨人戦でプロ初登板した阪神・秋山(撮影・西川 祐介)

 【記者フリートーク】数日前、普段からLINEのやり取りはあっても、滅多にない着信が秋山からあった。

 「引退することに決めました」。置かれていた厳しい立場に今季の成績を照らし合わせれば覚悟はできていたが、いざ本人の口からその言葉を聞くと寂しさがこみ上げた。

 「寂しくなるっすね。僕たち“同期”でしたもんね(笑い)」

 14年前、記者1年目で取材していたのがまだ18歳の秋山だった。年齢は離れていても同じ“ルーキー”で勝手に親近感を抱き、毎日のように話を聞きに行っていた。プロ初登板の10年8月21日の巨人戦。1回裏、三塁ベンチから敵地のマウンドに駆け出す背番号27を目にして私は自然と涙していた。

 ずっと追いかけてきた選手が晴れ舞台にたどり着いた時、番記者はこんな感情になるのか…。初めて仕事のやりがいや魅力を感じた気がした。6回4失点で敗戦投手になったが、当時の取材ノートに記してきたことを無心で書き連ねた「秋山悔し涙」の1面記事は今でも忘れられない。

 華々しいデビューの一方で2年目からは苦闘。そこでつきまとったのは、高校通算48本塁打の打力を生かした野手転向プランだった。振り返れば、今まで一度も球団から正式にそんな打診されたことはなかったが、秋山の心持ちは違う。「この試合でボコボコにされたら投手諦めなあかん」と覚悟して臨んだ登板は1度や2度ではない。ファンの「秋山、いつ野手になるんや」の声も糧にしていた。

 3度目の2桁勝利を経て、初めて年俸が1億円に到達した21年のオフ。ある日「お好み焼き食べにいきましょう!」と尼崎市内の鉄板焼き屋に呼び出された。「まだまだこれからですけど、一区切りということで。これまでいろいろ記事書いてくださって本当にありがとうございます」と手渡されたのは、レアスニーカー。知らないはずの私の足のサイズは、後輩記者に聞き出していたそうだ。

 昨年から右膝の状態が思わしくないことは感じていた。練習の合間を縫って東京の病院で注射を打ちに行くことも多々。登板後の痛々しい患部のアイシングも欠かせなくなった。そんな中でも幼少期から変わらない「野球をうまくなりたい」という信念は、膝が痛んでも曲げなかった。今年4月も「大瀬良のフォームを見て2段モーションにしてみたら角度が付くようになったんです」と嬉しそうに教えてくれた。

 引退会見後、「(泣くの)耐えられました?」と聞かれたので「無理やったわ」と首を振った。紆余曲折、光と影が交錯し続けた濃密な15年。その背中をずっと追いかけられたことの幸運を、今はただ噛みしめている。 (阪神担当・遠藤 礼)

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