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スキラッチ氏悲報に追悼続々 中山氏「相棒…最高のストライカー、トト」藤田氏「一緒にプレー…宝物」

スポニチアネックス / 2024年9月18日 20時26分

1995年、ゴールを決めたスキラッチ氏(左)と抱き合って喜ぶ中山

 サッカーの90年W杯イタリア大会で得点王に輝き、磐田でも活躍した元イタリア代表FWサルバトーレ・スキラッチ氏が18日、故郷パレルモの病院で結腸がんのため死去した。59歳だった。

 「トト」の愛称で知られたストライカーはユベントスでの活躍が認められてメンバーに滑り込んだ90年W杯で当初は控えも、オーストリアとの初戦に途中出場して決勝点。大会途中から先発に定着すると、7試合で6得点を挙げた。地元開催で3位に食い込む原動力になり、優勝した西ドイツのマテウスと準優勝したアルゼンチンのマラドーナを抑えて大会MVPに選ばれた。また、同年のバロンドール(当時欧州最優秀選手)の投票ではマテウスに次ぐ2位に入った。

 インテル・ミラノを経て94~97年には磐田に在籍。95年はJリーグ得点ランキングで2位に入る31点を挙げるなど通算78試合で56得点を記録して日本のファンにも親しまれた。

 磐田でともに一時代を過ごした中山雅史氏は「相棒の早すぎる旅立ちに悔しさしかありません。思い出は語り尽くせぬほど色々あります。強面のトトの表情に恐怖を感じていた方も多いかもしれません。ただ私には、メチャクチャ優しすぎる瞳の印象しかありません。ストライカーとしての素晴らしい技術を盗むことはできませんでしたが、ストライカーとしての気持ちの持ち方、ゴールに向かう姿勢、それはしっかりと今でも心に刻まれています。偉大なストライカーとプレーできたことは僕の財産として輝いています。心よりご冥福をお祈り申し上げます。最高のストライカー、トト・スキラッチ Ti Amo」と当時を振り返り、「相棒」の早すぎる死を悼んだ。

 J1磐田は1994~97年に所属していたスキラッチ氏の死去を受けクラブとして追悼コメントを発表。「今でもジュビロのレジェンドとしてクラブの歴史に深く刻まれております。もうお会いすることはかないませんが、残してくださったものはこれからもずっと私たちの心に生き続けるでしょう」とコメントを出し弔意を示した。現役時代にFWとしてコンビを組んだJ3沼津の中山雅史監督は「相棒の早過ぎる旅立ちに悔しさしかありません。ストライカーとしての気持ちの持ち方、ゴールに向かう姿勢、それはしっかり今でも心に刻まれています」と別れを惜しんだ。

 また、大卒1年目の94年からスキラッチ氏が磐田を退団する97年途中までともにプレーした磐田の藤田俊哉スポーツダイレクター(SD、52)は、クラブを通じ「あまりにも早い突然の別れに驚くばかりです。ワールドカップの得点王と、ジュビロで一緒にプレーできたことは、サッカー選手としての宝物です。素晴らしいストライカーでした。彼のプレーから多くのものを学びました。ご冥福をお祈り申し上げます」と追悼コメントを発表した。

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