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【内田雅也の追球】秋に野球ができる幸せ

スポニチアネックス / 2024年9月20日 8時2分

投手指名練習が行われた阪神甲子園球場(撮影・平嶋 理子)

 名古屋から移動してきた横浜には夕刻、稲光とともに夕立が降った。小一時間で雨があがると涼やかな風が吹いた。猛暑だと嘆いていたが、秋は確実に近づいている。

 阪神は優勝争いのなかにいる。ペナントレースは大詰めを迎えている。ただ、そんな熱い戦いの陰で、プロ野球界から去って行く人たちがいる。プロ野球の秋は楽しくもあり、寂しくもある。

 バンテリンドームで快勝した前夜(18日)、中日監督・立浪和義が「けじめをつけます」と今季限りでの辞任を表明していた。「ミスター・ドラゴンズ」と呼ばれた立浪も、球団史上初の2年連続最下位、今季も目下最下位に沈んでいる。結果がすべての勝負の世界で無念の退任となる。

 阪神監督・岡田彰布も十分に承知している掟(おきて)である。だから前回監督当時の2008年、巨人に13ゲーム差を逆転されて優勝を逃した際、自らユニホームを脱いだ。オリックス監督時代はシーズン終盤に解任を告げられている。

 また、幾人かの選手たちが現役引退を表明している。阪神では秋山拓巳が15年間の現役生活に別れを告げた。15日に開いた記者会見では野球への愛情を涙ながらに語っていた。「本当に野球が好きだったので、15年間一度も野球を嫌にならずに、好きな……大好きな野球ができて良かった」

 監督や選手によって無念とともに語られたこれらの言葉を心に留め置きたい。戦いの場にいられる歓(よろこ)びをかみしめたい。苦しいことも多いが、好きな野球ができる幸せ。原点である。

 たとえば野球を愛した俳人・正岡子規である。司馬遼太郎は小説『坂の上の雲』(文春文庫)で、結核で松山に帰省療養中に友人を誘い、病床を抜け出す光景を描いた。血を吐いた翌年、1889(明治22)年夏だ。

 母親が三和土(たたき)に下りた息子に「ベースボール!」と悲鳴をあげる。「母さん、夕べから気分がええもんじゃけれ、ちょっと連れざって行かせて賜(たも)し」

 苦しいことも多いが、それでも楽しい。以前も書いたが、遠藤周作の言う「苦楽しい」である。「野球はマラリアと似ている。どちらもぶり返すのだ」と大リーグ4球団で監督を務めたジーン・モークが語っている。今を大切にしたい。

 この日は子規の命日「糸瓜(へちま)忌」だった。 =敬称略= (編集委員)

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