「父が生きていれば…」後楽園球場で運命の出会い 東大野球部で再会 鈴木匡部長の「文武両道」
スポニチアネックス / 2024年9月28日 9時0分
【東京六大学野球 次の100年へ】「学生野球の父」の飛田穂洲、「ミスタープロ野球」の長嶋茂雄、昨年には阪神を日本一に導いた岡田彰布も、1925年(大14)に始まった東京六大学野球を彩った。今年で創設から100年目を迎えた日本最古の大学野球リーグを支える人々を紹介するインタビュー連載「東京六大学野球 次の100年へ」の第6回は東大野球部の鈴木匡部長(60)。幼少期に東大野球部を目指す運命的な出会いがあった。(聞き手 アマチュア野球担当キャップ・柳内 遼平)
――東京六大学野球は秋季リーグが始まっています。東大は第1カードで早大に2戦合計で1―32と大敗を喫しましたが、明大との第2カードでは、初戦は8回まで0―0の接戦を演じ、2戦目は0―3とロースコアゲーム。調子が上がってきましたね。
「やっぱり野球はピッチャーというところですね。先発投手がどれくらい頑張ってくれるかが大事。(アンダースローの)渡辺(向輝)君も凄く成長して結果を残してくれたのでうれしく思います。早大戦では特に吉納君にやられました(2戦3発)。対策は練っていても少しずつ甘く入ってしまったら逃してくれません。吉納君クラスを抑えることはなかなか難しい。ただウチの良いところは大敗することも多いだけに負けてもズルズルいかないところ。早稲田は早稲田、明治は明治という割り切りが上手くいきました。明治の初戦はワンチャンスで勝利を狙える展開まで持ち込めました。やはり盗塁を刺せて、こちらが成功する展開が勝ちパターンになるのかなと思っています」
――日本で一番学力の高い東大。そこで強豪の5校と戦う野球部での4年間は貴重な時間になりますね。鈴木部長はどのような経緯で東大野球部に入ったんでしょうか。
「実は小学生くらいのときから東大野球部に入ろうと思っていました。父と初めて後楽園球場に巨人―中日戦を見に行ったんです。当時、井手峻さん(20年~23年東大監督)が守備固めの外野手で出場していました。そのときに父が“井手っていうのは東大野球部出身なんだ”って言ったのが凄く印象に残った。東大からプロ野球に行けるんだ…って。ウチは父も、親戚も東大卒の方が多かった。野球も大好きだったし、成績も自分で言うのも何ですけど割とよかった。そこが東大野球部を目指した原点。でも順風満帆ではなかったんです。高校ではキャプテンをやっていたんですけど最後はレギュラーになりきれなかった。打球がとにかく飛ばなかった。今考えると打ち方が悪かったんでしょうね(笑い)。送球にも自信がなくて外野をやっていた。そこで限界を感じて“もう無理だな”と。高校野球でレギュラーになれなかったので上では無理だろうと。勉強の方は野球部を引退したら成績が上がって、バイオテクノロジーに興味があったので先生からも“東大に行った方が施設がいい”と勧められた。そこで東大志望にしたというところですね」
――“もう無理だな”と思った野球は結局、東大でも続けることになりました。何があったのでしょうか。
「入学したときは全く野球を続ける気持ちはなかった。けれど東大のクラスに浜田一志(13年~19年東大監督)が同級生としていたんです。彼は最初から野球部に入部していました。4月の入学式の前くらいかな。クラス合宿というのがありまして自己紹介で僕が先に“高校では野球部のキャプテンでした”って紹介したら、浜田も“土佐高校で5番打っていました”と。そこから彼に猛烈に誘われ、もう1度野球をやる気になりました。彼に出会わなければ硬式野球部には入っていませんでしたね。もちろんいま、こうして野球部の部長にもなっていないでしょう」
――出会いがあり再び白球を追うことに。高校時代には限界を感じていたということですが、東大野球部では4年秋に3試合のリーグ戦出場を果たしました。
「4年の春から夏にかけて外野手のレギュラーが大ケガをしてポジションが1つ空いた。下級生をコンバートしたり、いろいろやったんですけど自分は守備がうまかったのでオープン戦から守備固めで出場できるようになりました。凄く練習したらバックホームがほぼ100%ストライクで返球できるようになった。それで監督も信頼してくれて終盤の守備固めに使われるようになったんです。“初めてプロ野球を見たときの井手さんみたいな選手に近づけたのかな”と感慨深く1人で思っていました。リーグ戦で打席にも立てました。秋の最後の週は練習でホームランを連発できるようにまでなったんです。一番最後に開眼して代打でも起用されました」
――高校野球で「無理だ」と思った選手が東大野球部での4年間で大きく成長。後輩たちも同じ歩みができるといいですね。
「そうですね。やはり4年生で開眼する選手もいますから。努力が報われる瞬間は大事にしています。初ヒットの子にはベンチ裏で声をかけますし、ピッチャーだったら1イニング抑えることも凄いこと。やっぱり勲章なので。私の選手時代、最後の1年は勝てなかったんですけど、自分の野球能力としては納得のいくところまで成長できたと思います」
――初めて野球を観戦した後楽園で憧れた井手峻氏は20年に東大監督就任。鈴木部長、井手監督体制で野球部を指導しました。東大野球部を目指すきっかけの人と運命的な再会でした。
「これは笑い話で、井手さんにも直接お話ししたことがあるんですけど、僕が初めて見に行った試合で井手さんは決勝ホームランを打って中日が勝ったんですよ。それが井手さんのプロで唯一のホームランだったんですね。ところが9回にウチの父が延長戦も見たら混むからと言って帰宅したんです。だから井手さんの印象は残っているんですけど、ホームランは見れなかった。凄く悔しい(笑い)。父は早く亡くなってしまって、僕が東大野球部の部長になることは知らない。本当に井手さんが監督になるまで父が生きていれば、凄くよかったかなと思いますね。リーグ戦で勝ったときは(井手監督と)握手して感激しましたね。井手さんはお体のこともあって、チームを離れることになりましたが、大久保監督がイズムを継承いただき、より発展させてくれるだろうと思っています」
――大学野球部の部長はどんな仕事をしているのでしょうか。高校野球の部長はノックを打ったり、技術指導をしたり、戦術を考えたりする方もいますね。
「部を統括する役割ですね。実務としてはマネジャーとのやり取りが多いです。野球部から連盟、大学などに書類を出す場合は部長名になりますので、ミスがないようにチェックする必要があります。あとは取材の可否判断も下しますね。事務的にチームを支えていくことが部長の主な役割と言えます。だから裏方としてチームを支えるマネジャーの成長を感じることができますね。やはり4年生のマネジャーは顔つきからして違いますよ。風格が漂っている。そのまま社会に出ていくことになるので、きっと有能な人材になってくれるのだろうと頼もしく思います。リーグ戦ではベンチに入り、結構声を出しています。ミスしてもベンチが暗くならないように」
――貴重なお話しをありがとうございました。井手さんとのストーリーは壮大で、初めて知りました。最後にこの秋、チームとして目指すことを教えてください。
「東大は負けて元々というところはあるんですけど、やっぱり勝たないと報われない。最低でも1つ、できればたくさん勝ってもらいたいと思っています」
◇鈴木 匡(すずき・まさし)1964年4月15日生まれ、東京都世田谷区出身の60歳。小3で野球を始め、東京学芸大付では外野手としてプレーし、3年時に主将を務める。東大ではリーグ戦3試合に出場。卒業後は東大大学院に進む。13年から野球部の副部長となり、17年より同部長。東大では大学院新領域創成科学研究科に所属する准教授。尊敬する人は大谷翔平、イチロー。趣味は野球観戦でDeNAファン。
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