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巨人・阿部監督 涙と笑顔の10度舞い 4年前から21キロ減 身も心もすり減らしながら導いた4年ぶりV

スポニチアネックス / 2024年9月29日 5時32分

<広・巨>胴上げされる阿部監督(撮影・岸 良祐)

 ◇セ・リーグ 巨人8―1広島(2024年9月28日 マツダ)

 涙の胴上げだった。マジックを1としていた巨人が28日、広島を8―1で下し4年ぶり48度目(1リーグ時代を含む)のリーグ優勝を決めた。阿部慎之助監督(45)は、02年の原辰徳監督以来球団22年ぶり6人目の就任1年目でのリーグ制覇。球団創設90周年の節目に花を添えた。10月12日に開幕するクライマックス・シリーズ(CS)を勝ち抜き、12年以来12年ぶりの日本一を狙う。

 こらえ切れなかった。ゆっくりとマウンドに向かう阿部監督の目から、熱い涙がとめどなく流れた。輪になった選手たちにひと言、絶叫。現役時代の背番号と同じ10度、2000安打を達成した思い出の地・広島の夜空に舞った。

 「最高でーす!全員が同じ方向を向いて誰もそっぽを向かなかった。選手は凄く苦しかったと思いますし、苦しいチームが勝つというのはこういうことだなと実感できました」

 現役時代、主に捕手として通算2132安打、406本塁打。野球人・阿部慎之助は、努力の人である。プロ19年間、〓浜や神宮の試合前にも都内で打撃練習をしてから球場入りしていた。「これだけやったんだというのがないとプレッシャーのかかるところで結果は出ない」が持論だ。

 現役を終えた翌年の20年に2軍監督として指導者に転身。限界まで自分を追い込んでいる選手はいたか。いない。だから、厳しい練習を課した。早大に敗れた際には罰走を命じた。だが、厳しさ一辺倒だけでは今の選手に合わなかった。自分が変わるしかなかった。

 原前監督からバトンを受け、第20代で球団史上初の捕手出身監督となった。投手には「困ったらど真ん中」、打者には「自己犠牲」を求めた。勝つために試合の流れを読むことがいかに大事かを日頃からナインに説いた。原監督の下、昨年はヘッドコーチとして間近で学んだ。球団創設90周年の節目に頂点に立ち「原さんが…指導者に導いていただいて…。感謝しています」と再び声を詰まらせた。

 自らを戒める夜があった。7月9日の広島戦。相性の悪い森下相手に2点リードした5回先頭、打撃のいい投手・山崎伊に初球から打っていいと指示した。結果は初球の三ゴロから3者凡退。森下に立ち直るきっかけを与え、一度は同点とされた。1番・丸にすぐ謝った。「丸が初球から振れない状況をつくってしまった。やっぱり、ベースボールじゃなくて、野球をやらなきゃ駄目なんだと改めて思った」。8月21日の広島戦では、ベンチから自身が出したサインで、グリフィンが坂倉に先制のソロを浴びた。翌日「こっちのサインにも首を振っていい。一番近くで対戦しているのはバッテリー。俺も現役の頃はそうやって思っていたから」と歩み寄り、信頼関係を築いていった。

 神経をすり減らした5、6月には体調不良で休養日に病院に駆け込んだこともあった。左腰付近にはりを打ってから試合に臨んだこともある。2軍監督時代から始めた早朝のランニングは、監督になった今も継続。ナイター翌日にも午前6時から7キロ走る。イヤホンで音楽なんて聴かない。「精神修行」と位置づけ、前日の反省と当日のゲームプランを練る。験担ぎもしない。勝った翌日でも、あえてコースを変える。「同じ攻め方をしても相手を上回れない」ことをマスク越しに学んできたからだ。

 4年前、109キロだった体重は今年のキャンプインは91キロで、9月には88キロ。身も心もすり減らしながら捕手らしく「流れ」を読み、就任会見で口にした「アレではなく、アベ」を成し遂げた。2年連続4位から141試合目で決めた頂点。「夢の中にいるような一瞬で、感動しましたし、減量して良かったなと。10回も上げていただいて選手に感謝しています」。話すたびに声が震えた。(川島 毅洋)

 ≪新人監督の胴上げは22人目≫阿部新監督率いる巨人が前年4位から巻き返し20年以来のリーグ制覇を果たした。新人監督の胴上げは、今季の小久保監督(ソ)に次ぎ22人目。巨人では02年原辰徳監督以来22年ぶり6人目で、前年Bクラスからは阿部監督が初めてだ。また、プロの現役時代に捕手だった監督のVは21~23年中嶋監督(オ)以来7人目。そのうち新監督は86年森祇晶監督(西)、04年伊東勤監督(西)、前記中嶋監督に次ぎ4人目でセ・リーグでは初となった。なお、両リーグともに新監督での優勝は15年真中満(ヤ)、工藤公康(ソ)両監督以来5度目だ。

 ≪広島の球場でセの優勝を決めたのは4度目≫巨人が広島の球場でセの優勝を決めたのは4度目。ともに水原円裕監督時代の56年は9月23日に広島総合球場、59年は10月3日に広島市民球場で広島を破った。76年はM1で迎えた10月16日に広島市民で広島に勝ち、長嶋茂雄監督が就任2年目で初の胴上げとなった。なお、王貞治監督の初優勝は試合のなかった87年10月9日、広島の宿舎に滞在中に決定。また、阿部監督は現役時代の17年8月13日に通算2000安打を達成したのがマツダだった。

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