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すゑひろがりず(1)芸人人生を変えた2つのターニングポイント 狂言風漫才はこうして生まれた!!

スポニチアネックス / 2024年9月30日 14時17分

すゑひろがりずの南條庄助(左)と三島達矢

 狂言風漫才という唯一無二のスタイルで人気に火がついた「すゑひろがりず」。現在は埼玉・大宮の劇場「大宮ラクーンよしもと劇場」でユニット「大宮セブン」としての活動に軸足を置きながら、関東を中心に活躍している。ただ、ここに至るまでの苦労は並大抵ではなかった。人生を賭けて洋装から和装に替えた2人が経験した極めて大きな2つのターニングポイントとは?三島達矢(41)と南條庄助(42)が山あり谷ありの芸人人生を語った。(取材・構成 江良 真)

【すゑひろがりずインタビュー(1)】

◆◆最後の一手だった狂言風◆◆

 ―このスタイルになった経緯から教えてください。

 南條「ほんとに目立つためというか、当時は普通に漫才してたんですけど、ウケないし、劇場にも入れないし、何にもない。これヤバいなとなってた時に打った最後の一手という感じですね」

 ―クリスマスのネタを狂言風にやってみたらウケたというお話は聞いたことがあります。

 三島「と言っても10人くらいしかいない地下ライブでした」

 南條「ただ、これまでまったくウケなかったんで、これがウケるってことなんか、と気づくくらい違いましたね」

 ―お2人にとってはとんでもないインパクトだったんですね。

 三島「当時、いろんなことやってました。漫才、コント、キャラも色々試していたんですけど、何にもうまくいかん。もう、これがダメなら…という思いでやってみたら、反応が明らかにこれまでと違った。でも、最初は狂言風もネタのひとつみたいに考えていたんですけど、メインでやったらええんちゃう?と言ってもらう機会が多くて、半年くらい試行錯誤してから本ネタにしようとなりました。そっからずーっとですね」

 南條「劇場オーディションも受かるようになって、劇場でもめっちゃウケるようになりましたね」

◆◆覚悟の着物購入◆◆

 ―そういう意味では発見だったとも言えそうですが…。

 三島「ぼくらにしたら苦肉の策ですけどね(笑い)。今までのやつよりはるかにモノになっていきそうな感じだったので、すぐ着物を買いましたね」

 南條「最初は白いYシャツみたいなのを着て、狂言ネタをやってたんです。でも、三島が一生このキャラでいこうと言い出して、ぼく的には一個のネタという感じでやってたんですけど、全部これでいこうみたいになって。難波の着物の古着屋さんに2人で行って、買いましたね」

 三島「単純に目立ったほうがいいと思ったんで。他と同じ服じゃないほうがいいだろうな、と」

 ―鼓もそのときですか?

 三島「これは、着物にして半年くらい経ってからです。漫才やったらポンポンするのあっても武器になるかな、と思って。漫才やるときにツッコミでポンというのもできるし。これ買えへんか?となって。よく言ってますけど、ネットで買ったんです。とにかく差別化と言いますか、誰もやってないことをやろうと思っていました」

 ―狂言は研究されたんですか?

 三島「いや、そのときは何となくこういうもんやな、というくらいで」

 南條「体験教室みたいなのに行ったりはしましたけどね」

 ―狂言は日本の昔ながらのコメディーと言えるので、漫才との相性が良かったのかな、とは思いました。

 南條「日本人ならなんとなく知ってるというくらいの存在というのが大きかったかもしれないですね。あ、なんか見たことある、あの感じや、となって笑ってくれるんでしょうね。でも、やってることはめちゃくちゃ。本当にやってる人らにとったら狂言でも何でもないんですけど、日本人はどっかで見てるんで、その記憶をつついてる感じでやってましたね」

 三島「一度、番組で野村萬斎さんに見てもらったことがあったんです。とてもホメていただいたんですが、やってる時は一切笑っていらっしゃらなかった。そう簡単に笑顔を見せられなかったんだと思います。今思っても恐縮至極なんですが」

 ―ただ、フォーマットが決まるとネタもつくりやすくなったのでしょうか?

 南條「そうですね。まったくゼロからつくるより、情報がある状態から始められるんで、かなり楽になりましたね。それまでしゃべくりとかもやってたんですけど、どうも2人の温度差をうまく調整できなかったところがあったんです。芸風とキャラ設定を整えたら、すごくうまくいきました。人間性をいい意味で消すことができたんですね。自分というキャラクターをうまく隠せて、しゃべくりの下手さがバレなくなりましたね。とにかく漫才が下手やったんで(笑い)」

 三島「まあ、それまでがヤバすぎたな(笑い)」

◆◆三島は超逸材だった!?◆◆

 ―三島さんはどういうきっかけでNSCに入られたんですか?

 三島「高校を卒業してフラフラしてたんです。でも、22の時に周囲が大学卒業とか就職とかし始めて、ちょっとあせって、やばいなあと思って。お笑いは好きやったんですけど、それはテレビとかで見る感じでの好きで、でも一発何か当てるならお笑いか、という思いもあってNSCに願書出したんです」

 ―南條さんは?

 南條「ぼくは高校くらいの時から何となくお笑いやりたかったんですが、大学はさすがに行くか、と思って周りが就職となり始めたときにこのまま就職よりも一回はやりたいことやってからでも遅くないか、とNSCに入りましたね」

 ―お2人は同期ですが、組もうということにはならなかったんですか?

 南條「全然別のクラスだったんで。三島は同期の中でも出世頭みたいな感じでした。在学中にM-1準決勝までいってましたから」

 ―それはすごい。

 三島「入ったらポッと結果が出て、あれ?おれ向いてんねや、とか思って。ちょっとうぬぼれるやないですか(笑い)。なんや、けっこう、おれ、センスあるんやなと思ったんです。講師陣とかもベタぼめで、君は1000人に1人の逸材や、みたいなことを言われて。え?めっちゃすごいやん、と思って(笑い)。しばらくして相方とうまくいかんようになるんですけど、おれやったら誰とやっても結果出るやろ、と思ってたのが全然良くなかったんです。それで組んだのが南條ともうひとりとやったトリオでした。これが全然ダメ。劇場にもまったく出られへん。オーディションでネタも途中で切られるし。才能ないやん、と落ち込みました。誰と何をやるかというのが大事ということを思い知りましたね」=(2)に続く

 ◇すゑひろがりず 三島達矢(みしま・たつや)1982年(昭57)10月2日生まれ。大阪市出身の41歳。南條庄助(なんじょう・しょうすけ)1982年(昭57)6月3日生まれ。大阪府堺市出身の42歳。NSC同期で当時は別のコンビを結成。それぞれ解散後に漫才トリオを組み、1人が辞めた後にコンビで活動し始めた。狂言をモチーフにしたネタで頭角を現し、2019年に「M-1グランプリ」で決勝進出。異色漫才が話題になった。

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